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中央テレビ編集 


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自治随想
2025年:「昭和100年」、「戦後・国連80年」 &向後の国際協調・各国及び自治体像は…
その2、世界と各国・地方自治体共有の「対話・協調」&「自立・協同」
 謹賀新年、ご健勝とご多幸をお祈り致します。

基本は市民・地域ニーズ
 昭和40年代、環境保全、福祉創造を目指して自治体は、地方自治権の活用をテコとして主体的自治、市民参加へと自治体の変革を目指す。しかし50年代には財政危機に直面し、放漫経営が糾弾され減量経営を求められ、内部経営にメスを入れた効率的体質への変革を求められる。自治体が基本的に発想を転換しなければならないのは、上から天下ってくる行政ニーズをこなすことでなく、下から市民ニーズに応えるために、いかに自治体を自己改革していくかという前傾姿勢を持つかどうかである。自治体は一般会計、外郭団体、市民協力・企業参加を含めた複合的行政サービスシステムを形成し、そのための政策形成、体質改善、意識洗脳を図っていかなければならない。その為に自治体は地域住民に少なくとも責任を持って主体的施策を注入していかなければならない。例えば地域開発分野では総合商社のように地域に必要な情報、資金、人材、技術、組織を示し、強い政策実践力を持つ体制をつくる、また、生活サービス分野では総合政策サービス産業を自認し、市民生活に必要な施策には行政の英知を結集しニーズに応えていく行政体へとレベルアップすべきだろう。例えば北海道の大滝村の温泉を掘り、リハビリ施設誘致による村おこしの成功、関西では「しあわせの村」(福祉の神戸)が、言うならば「福祉コンビナート」として知られるようになる。

1945年「戦後・国連80年」&向後の国際協調・各国及び自治体像
 昭和17(1942)年5月22日生の私は昭和100年、戦後・国連80年&21世紀の自治体像転換期に生きる最後の世代として一所見を述べたい。というのも母の胎内5か月で二十歳の父が赤紙招集され上海経由、広大な武漢三鎮一帯で兵役に就き、終戦後1年弱の捕虜釈放後に上海経由米軍輸送船で山口県仙崎港着、以後下関―岡山―高松―徳島―小松島―羽ノ浦経由旧那賀川町色ケ島の生家に5年数か月後に生還する(昭和21年6月1日)。4歳になったばかりの私は初めて父の胡座の上に抱かれ父の顔を喉越しに見上げながら、後で思えばゴックリと咽喉仏を落とすように焼酎を飲んでいた父の姿・温もりを感じた。
 両親には昭和22年9月に次男、その1年後に長女(ペニシリン入手できず3才で死亡)、2年後待ちに待った2女誕生、3女、そして3男と生まれそれぞれ家庭を持ち孫・ひ孫に恵まれる一方、病による悲しい別れもあり、子らは両親の苦労を思い、助け合って生きている。同世代の同期生には戦争で父を亡くし祖父母に育てられた者が相当数いることを当たり前のように考えていたこと、「戦争で国が負けたのではなく、家族が殺され家庭を壊され隣近所・町内会や近くの地域経済をバラバラにされたことなのだ」(地域遺族会女性会長)と、涙ながら絶叫された光景が胸から消えることがない。私の少し年上世代の素晴しい投稿「国際社会は常に平和と平等の理念の下、平和と安全・安心を守り抜く連合につくり替える時期に来ている。そうした国際的な連合体組織ができれば、軍事力強化などの必要はなくなり、国家予算や国民の安心・安全な生活に費やすことができ、世界全体が発展・向上する」と卓見を述べている。一方で哲学者内山 節氏は「成熟社会どう歩く」の中で、今日の国家が人々の暮らしを支え切れなくなっていることと、質の高い仕事や生活を自分たちで作り出そうとする人たちが生まれてきている傾向を挙げて、現在では国家が社会の軸になる時代が終わろうとしているのかもしれないと指摘している。次なる大激震があるのだろうか。何度も振り返り、大局を見逃さず、新しい歴史・最初の一ページをめくり始めたい、少なくともその糸口を探り当てたい。その為にもやはり厳しい歴史を正確に読み取り対応したいものだ。

「日本のいちばん長い日」運命の8月15日「敗戦の詔勅」(文芸春秋より抜粋)  
 作家大矢壮一氏の言葉に「今日の日本及び日本人にとって一番大切なものは「平衡感覚」によって復元力を身に着けることではないか。1945年敗戦80年後の今日、かの半藤利一氏はじめ多くの方々が幕末と同じような激震が日本を襲った「日本のいちばん長い日」の決断が日本民族の平衡感覚を取り戻す能力、即ち「24時間の維新」足りえるかどうか、という見方もできるという鋭い問いかけでもある。日本人の精神構造を主題としたドラマは続くと言うべきだ。「日本のいちばん長い日」を小見出しで追ってみる。


(以下次号)

(徳島文理大学総合政策学研究科元教授 西川 政善)