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中央テレビ編集 


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自治随想
2025年:「昭和100年」、「戦後・国連80年」 &向後の国際協調・各国及び自治体像は…
その1、世界的大転換期の幕開け
洋の東西を問わず激変する政治情勢や各国自治体を取り巻く政治・行政環境はどうあるべきか、東欧の革命は言うまでもなく日本の経済・社会・国家構造などその基底から変動が起こり、政府・企業・市民共にその変化に如何に対応していくか、適切かつ着実な努力が望まれる。こうした大きな変革の流れのなか、自治体はあたかもエア・ポケットの中に安住しているかのように見える。昭和40年代の中央大法学徒の私は、佐藤 竺法学博士の地方自治演習で「ベルギーの連邦化と地域主義」「フランスの地方自治」、代議士秘書時の政治・行政機関での公害・過疎・過密・激しいコンビナート競争など具体例を学び、昭和50年代に吹き荒れた減量経営の嵐も少し和らぎ、財政力も回復方向に向うのを市議・県議として経験し、自治体が突き上げられ地域が揺れ動き政治家が狂奔することもいくらか少なくなったようにも感じ、自治体の安定志向性は徐々に定着していくかのように思われた。  
 ところが、国や自治体組織を再構築する間に政治・行政と現実のギャップはますます拡大し、国・自治体が気付きその対策に苦慮し対応する時には事態は深刻化している。40年代の公害・福祉、50年代の財政再建などに難儀した市・県議、市長時代の経験が蘇る。後手にまわる市民の被害対応、地域の損失、財政のロス等は計り知れない。味わった苦い体験、骨身に染みて知ったことを現時点において安らぎに置き換えてはならない。もし将来、自治体が責任を問われるとしたら、このような環境・構造変化を事前に予測せず、十分な対応が出来なかったことの反省が残るだろう。中央大学法学徒時代(東京OP前後)に、国や東京都が地価高騰を見越して、用地先行取得、監視区域の設定、海上都市建設などの政策転換をしておれば事態はかなり違っていただろうし、明確な処方箋がなく身動きが取れなかったという判断や政策能力・実施能力が貧困であったのでないかと論争したことを思い出す。関連して国土構造における「地方の崩壊」は、地滑りのように確実に進行している。人口減少の農山漁村地域は安楽死に近い厳しい状況を迎え、高度成長期に農山漁村に残された若かった親世代は今や文字通りの高齢者となっている。東京も昭和30年代から過密・過大と言われながら逞しく膨張、しかし今後も一極集中化を続けるとなると事態は悪化するのは明白、現に地価高騰によって住宅問題は破局の心配があり、「四全総」的発想は神話化しつつある。思えば戦後の地域政策は第二次産業の地方分散であり、国土構造は一貫して東京への人口・企業の集中であり、三全総なども東京一極集中のための工場分散という露払い的役割を果たすものに過ぎない、市場メカニズムの集中原則に対しての公共メカニズムからの対抗策としての分散原則に基づく実効的な施策を打ち出せていない。即ち国の政治・文化機能の地方分散を図る、人口減少市町村以外工場の新設を認めないなどの具体策はなかった。また行政機関の地方分散も竜頭蛇尾に終始し、分散政策における政府政策も十分でなく地方の不満が高まり、詰まる所「ふるさと創生一億円」散布へと繋がっていく。国策のツケは東京一極集中という事態の深化となり、地方はより過酷な環境を強いられつつあると非難される。しかし地方自治体の政策課題としての地域開発・振興は、如何にそしられようとも重要な課題だ。いま地域開発を年代的に振り返ってみると、昭和40年代は拠点開発構想にみられるようにコンビナート基地建設によって企業誘致を図り、一挙に貧困からの脱却を図ろうとした。その為自治体は高速道路、港湾、工業用水などの基礎整備に没頭し、政府も補助金、地方債、交付金を三位一体とした財政援助によってテコ入れをするという基本パターンは明治以来の伝統的戦略、自治体もこの道を突っ走る。次いで昭和50年代には地場産業のハイテク化、ファッション化が浮上し、昭和60年代に入って文化産業が主流を占めるようになる。地方自治体の地域開発と言えば、工場用地への企業誘致が唯一の手段とされたが今や企業誘致方式、地場産業高度化戦略、文化産業振興策という三つの手段が考えられ各地域の条件に合わせてそれぞれの方法を選択する時代となる。先ず、第一の伝統的な工場団地による企業誘致方式(最もオーソドックス)の方策は、無から有を生み計り知れない効果を生む。しかし誘致に失敗すれば財政負担は余りにも大きいリスクとなる。そこで徳島県では家具組合と第三セクターでデザイン会社設立・デザイナーを全国に公募したり、10社程の家具組合が新会社を設立し全国各地や中国など近隣国に営業を展開、自治体側としては販売・誘致をより確実にするために住宅・大学・研究所・リゾートなどがセットとなった環境志向型工業団地などで対応しようとするが、小さな自治体ではなかなか対応しきれない。理想的には地方は中央に頼らず地域の力で創造的な地域政策を展開すべきだが、典型的地場産業である農業にあっても圃場整備事業だけでなく商品農業(ワインなど)開拓や京都の明治以来の教育・文化の土壌を活かしたハイテク、ファッション商品事業や一村一品運動の展開も心掛け、こうした競争を前提とした地域の独自の力が決め手となる。補助金行政・委任事務に安住する時代は去り、厳しさを覚悟して第三セクターでハイテク企業創設と経営の実践を目指していく。
 昭和60年代地域振興の第三は文化産業振興であろう。中央大先輩が市長の京都市では「21世紀の理想都市」、住環境・地場産業、文化と三つのバランスが取れた都市を目指す。ハイテク、ファッションなど地元産業の活躍、自力で経済を安定的に支え、文化が経済的恩恵を地域にもたらし、教育産業、お茶、お花、宗教など宗派的文化産業、観光、イベント産業等々、なぜ文化産業が決め手になるのか。成長性、付加価値、地方立地性が高いからだ。 地域開発の主要戦略が素材産業から文化産業へと変化するように、地域サービスにあっても基礎的サービスから選択的サービスへと徐々に移行しつつある。例えば公共サービスとしてのスポーツは、学校スポーツにみられるように運動場、体育館、プール、体育教師・振興・指導費などシステムはそろっているが、一方で生涯スポーツといわれる分野の市民ニーズの充足度は施設の用地浪費型、低い採算性、経済大国・生活小国指摘される面もあり、市民ニーズの生活サービス(寝たきり老人の入浴サービス)を的確にくみ取りそれを行政ベースに乗せるため、いかに既存体制の創造的破壊(財源・人員・組織の壁など)につなげるかが求められる。

(徳島文理大学総合政策学研究科元教授 西川 政善)