中央テレビ編集
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自治随想
小さくても生きられる地域最前線の社会再生 ~日本の、郷土の、「昭和型水道システム」の転換を考える~ |
今考える、全国各地の地域水道施設の将来像 「水のうまい故郷」を誇りにする人々は、全国で急速に老朽化が進む水道設備、昭和の時代に広げた「昭和型システム」に危機感を覚え、大小を問わず全国的にみられる水道設備の老朽化ゆえの事故・事件に不安感を持ちつつある。1942年(昭和17)生まれの私は、街なかの奇麗で美味しい隣家との共有掘り抜き井戸で育ち、日常生活のすべては井戸水で賄われていた。戦後中国大陸から復員してきた父と母、その後生まれた弟妹4人が神田瀬川河口旧小松島港二条通り借地商家(醤油・酢・味噌・こんにゃく等卸売業)で暮らし小・中・高校と通学中も水道という概念は頭の中になかった。二軒を跨ぐ直径1m余の円筒井戸の水を溜め途中から両家に分水、溜めた冷水による冷蔵庫、台所業務をこなす。その水場からさらに奥に数倍大きな井戸を掘り商品製造・瓶など用具洗浄、煮炊き窯、流し場、五右衛門風呂などを整備し商売専用に家族そろって精進したことが懐かしい。昭和27年に水道事業創設認可・事業開始・1~3期と拡張工事が進み給水域拡大、大学・代議士秘書等8年後帰郷、昭和46年小松島市議初当選後結婚、横須町に水道施設を初めて付けた新居に転居、47年田浦浄水場着工、48年完成し給水開始、中田・坂野水源地を休止。昭和50年~平成元年間の県議勇退、平成元年小松島市長、平成6年全国的話題となった石綿セメント管更新事業着手、11年田浦浄水場中央監視室完成、12年にガスタービン発電機更新、そして市長退任後の17年には課題の施設耐震化事業、17~18水道料金改定・見直し、21年田浦浄水場浄水池完成、市水道ビジョン策定へと繋がっていった(「小松島市水道ビジョン」参照)。 「水と安全はタダ」という常識は過去のもの 戦中派の昭和17年生の私は83歳目前。身の回りには「記憶は殆どない」とか「過去の遺物と化した常識」に取り囲まれている。以下、雑誌「ウェッジ4月2024」によると、ゼロかそれ以下のマイナスから出発し、やっと高度経済成長期に張り巡らされた日本のインフラが半世紀を経て老朽化、1995年の阪神淡路大震災を教訓に「地震に強い水道づくり」を目指した厚生省は「老朽化した水道管を向こう5年以内にすべて耐震性のものに更新する」と提言、続いて2004年「水道ビジョン」では「浄水場、配水池などの基幹施設,基幹管路の耐震化率を100%にするとまとめた。30年がかりの号令に拘わらず現在の機関管路の耐震適合率は41.2%にとどまり、しかも1位の神奈川県73.1%、最下位の高知県23.2%と50%のバラツキと開きがある。徳島県は最下位から6番目だ。こうした現場足元で減少する水道事業の財源(料金収入)、技術、人材不足の三重苦から持続性が危ぶまれる水道事業に対し、国は18年水道法改正、「水道基盤強化計画」策定し、広域連携(経営統合、業務の共同化、災害時等の応援協定、資材の共同整備など)を推奨するが十分ではないようだ。昭和時代の水道事業は供給量の増加への対応、水源の汚染への対応を課題とし、設備を建設することで課題解決を図ってきた。言うまでもなく水道は設備産業であるため一定の材料費、施工費(労務費)維持管理費がかかる。水道を供給する面積が広いほど広大な面積を管理しなければならないし、人口減少が進む地域では水道の維持が難しくなる。根本的な議論になるが昭和時代に広げた水道事業という傘を折りたたんだり(ダウンサイジング)、複数の小さな傘に差し替えたりする必要があるとした発想を取り入れたのが、大震災の見舞いに何度か訪れた岩手県北上市・花巻市・紫波町の「岩手中部水道企業団」統合(14年)に学ぶ。水道専任職員による施設削減で約89億円の投資削減、漏水による有収率(給水する水量と料金として収入のあった水量との比率)を向上させている。そして現在令和の課題は、人口減少への対応、災害頻発への対応だと言える。しかし一方でダウンサイジングの結果、過疎地域の切り捨てが起きてはならない。人口が極端に少ない地域での維持策も当然考えるべきであり、それこそ小さな複数の傘への差し替えであろう。言わば「小規模分散型化」地域の将来水道像が検討、追及され各地で試行されるべきであろう。 次世代の、地域に見合う、持続可能な水道事業の模索 高度経済成長期に張り巡らされた日本の水道管、それから半世紀近くたった今、全国では毎年約2万件の漏水・破損事故が発生するようになり全ての管路の更新には約40年かかるそうだ。その一方で人口減少が急速に進み、水道料金は激減し従来のような昭和型維持は限界だという厳しい現実を受け止め、ライフラインである水道をいかに維持管理していくのか、更にその地域に見合った水道事業を持続可能な形で模索しなければならない。かつての全国市長会仲間と合うたびに意見交換した具体例のいくつかを列挙する。岐阜県恵那市の久保原浄水場は、地下水と河川表流水の2つを水源として02年に造成、約20年間稼働、取水した水に含まれるヒ素やフッ素をアルミナによって吸着処理した上でセラミック膜によるろ過処理を施すことで浄水していたが、使用していた活性アルミナの販売終了や人手の不足、セラミック膜装置の経年劣化や膨大な更新費用、更新後の高額な維持管理等々危機的状況の中で、可搬式の浄水装置専門の川崎市日本現原料社のコンパクトかつ可搬型シフォンタンクの技術が活かされる。曰く、「将来的な人口の増減を見据え、必要な場所に必要な数の水処理装置をフレキシブルに移動できる状態で配備することが必要で、次世代のためにも最適解の検討と移行は急務だ」と。次に、東京都奥多摩地区に隣接する神奈川県相模原市にある「水・グリーンインフラ研究所」(東京都品川区トーテツ)が取り組む雨水活用による未来への挑戦だ。農林水産省統計では23年の農業人口は116.4万人と15年比約35%減少、用水路を管理する人々も減り農業用水を確保できないところは耕作放棄地対象になる。ここで雨水を効果的に活用すれば農業の維持・振興に繋げられるとし、同研究所は1000tの雨水を溜められる地下貯留槽アクアパレス(一般的な家庭用浴槽の約5000杯分相当)を埋め込み、長期に亘る安全性を確保すべく人が中に入って点検・整備に努め「水の宮殿」を目指す。更に一歩進めてため池などの「オフサイト貯留」から、地域ごとに水を確保する「オンサイト貯留」へ移行する考えに共感したものだ。第三に役所と住民の共通解「水道料金)について教わったことを述べておきたい。04年国は水道のあるべき将来像について「水道ビジョン」を公表、受けて全国各自治体もそれぞれの水道ビジョンを改定・作成する。全国市長会、計画行政学会等々様々な全国会議において、関係する施設整備事業では常に巨額な設備投資と使用料がどうあるべきかが課題となる。岩手県矢巾(やはば)町では水道ビジョン策定の当時から住民の理解促進と合意形成のために職員サイドでできることから手を打つ。そのうち特筆すべきは「やはば水道サポーター」の活動を08年度から始め、公募により集まった住民が月1回ワークショップに参加市水道事業について学び、意見を出し合い、職員と課題認識を共有し、解決策を考える。何時しか住民は「話を聞きに来た人」から「参加者」となり、ついには「当事者」となる。東日本大震災発災後、不安に駆られる地域の人々に対し「矢巾の水道は大丈夫だから」とサポーターが話して回っていたそうだ。町職員は言う「行政がすべて正しいわけではなく、批判もあってしかるべし、一人一人が何かに気付き何らかの主体的な考えを持つそういう方がいればいるほど強い矢巾町になっていく、と。「水道の維持・管理方法はその地域の地理的条件や歴史的背景によって異なるが、将来の姿を見据え各事業体がその仕組みや形を再考し、地域に見合ったあり方に変えていく必要がある」という大学教授の学会講義を思い出した。また、矢巾町職員やサポーターの実践例を知り、住民(国民)も受け身の姿勢だけではなく、昭和型から令和型へ、他人事から自分事へ、持続可能な形で自分たちの市町村の水道は自分たちで守っていくという発想の転換が求められている。 ![]() (徳島文理大学総合政策学研究科前教授 西川 政善) |