中央テレビ編集
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自治随想
~1700自治体の現状と課題~ |
地方政府と中央政府 2016年度版総務省地方財政白書(平成30年度)によると、58兆5千億円(GDPの約11%)が日本経済全体に占める地方政府(都道府県と市町村)全体の最終支出であり、国(中央政府)の22兆円余の2.5倍となる。更に、曽我謙吾著「日本の地方自治」や他資料によると地方公務員総数は274、4万人で、これは自衛隊職員など特別職を含む国家公務員58,3万人の4,7倍、自動車製造部門従業者78,5万人の3、5倍、水道供給、ごみ収集、小中学校から介護サービスまであらゆる人の生活は地方政府の活動に支えられ私たちの社会や経済にとって大きなウエートを占め日常生活に深く関わっているのが現状だ。それだけに地方政府とは単純には理解し難く、更に知事や市町村長と議会、行政そして住民との関係等複雑に絡む。一方で国からの影響を受け、他方では地域の社会や経済からの影響を大きく受け、その上に内部の仕組みと外部から受ける影響、これらを総合して理解し実態をとらえて対応しなければならない。加えて地方政府は更に多様であり、都道府県と市町村の違い、都と道府県の大きな違い、市と町村の若干の違い、指定都市・中核市と一般市との違いもある。規模の大きさも1350万人を超える東京都と57万人の鳥取県とは24倍の差がある。人口最大の横浜市は370万人、人口最小の東京都青ヶ島村は178人の2万倍だ。また、地方では一般的に地方自治体(地方公共団体)として、県庁・市役所・町村役場など地方の行政機構を意味してきた。つまり地方では「政府」は存在せず、行政機構だけが存在しているという見方、国が決定した政策を実施する存在であるという見方に慣らされてきたと言えそうだ。実態は断じてそうではない。地方にも政治はあり、立法活動も行われている。地域住民の意思で政治的代表を選び出し、政治家や行政職員たちの活動が独自の政策形成に繋がり、その政策が地域社会や経済に影響を与えいく、地方における代表と統治システムが機能する「地方政府」の実態に立ち、私も生涯をかけて歩んできた。その前提として改めて政治制度、中央・地方関係、地域社会・経済と地方政府の関係という三つが絡み合うところの地方政府をしっかり押さえる必要がある。地方政府は統治機構として独自の政治制度を備え、その論理に基づいて動き、同時に国家の中で特定の地域に基礎を置く存在であり、それ故、中央政府との関係、地域の社会・経済との関係のそれぞれを抜きにして地方政府は理解できない、言わば地方政府は中央政府と地域に埋め込まれた存在なのだ。地方政府を規定するこうした三つの絡み合い即ち政治制度、中央・地方関係、地域社会・経済との関係のうち、戦後長く1990年代まで議論の中心になってきたのが中央・地方関係であった。中央政府が巨大な権限を持ち、地方政府の行財政制度に強い制約をかけていたため、地方政府は自律的に意思決定ができなかった。だが冷戦が終わり自民党の長期政権が連立政権に変わった1990(平成2)年代半ばから、統治機構改革、地方分権改革が大きく動き出す。自社さ連立村山富市内閣から自民党橋本龍太郎政権にかけての第一次地方分権改革の成果が2000年代に実施され、小泉純一郎政権の三位一体改革へと繋がるなど中央政府から地方政府への制約を減らす試みが展開される。その一方で「一連の施策は国の財政改革であって地方のためになっていない」と見られる分野については、市長同志と共に全国市長会役員(私は総務委員会副委員長)として市長会を代表し、総理、官房長官、総務・財務大臣等々に市長職を賭して強く要請活動に徹する。安倍晋三政権下では特区の導入や地方創生政策の取り組みを強く推進した。 地方分権改革の光と影 1990年代半ばから20年以上続く地方分権改革は、忘れられた地域間の再配分など光と影を残す。第1次分権改革は事業官庁からのタテの系列を弱め、地方政府が様々な政策を束ねる総合性を高めた。三位一体改革は首相と財務省が主導した改革であり、金銭資源の集中・分離をもたらすと共に、やはり総合性を目指す。第2次分権改革は、再び中央政府が持つ権限を改革の対象として、地方の自立性を強めるものであり、改革を引っ張るのは官邸と経産省であった。このように異なる主体が異なる目的を持って改革に加わったために改革は長く続き、同時に改革の目的が何であるのかを不明瞭にすることにもつながり、日本の地方政府は以前よりも強い自治を持つことによって機能的な存在になりえたかどうか、いくつかの疑問を残す状況と言わざるを得ない。即ち、空き家問題・高齢者介護問題・少子化・労働者不足・イノベーションの創出・貧困者増大・インフラの老朽化・いじめや学力低下など教育問題等々いずれも地方政府と深い関わりを持つ課題は多い。戦後80年間にわたって変化し続けて来た現場を、地域から日本を構想し、地方政府の観点から創造・再考・実践を始めるべきだろう。 現代日本の地方政府の実態を、政治制度、中央との関係、地域社会・経済と関係から、戦後80年の間に生じた変化と連続性、他国の地方政府との間にみられる共通性と異質性を参考にしつつ、日本版のあるべき地方政府像を描き出す、言わば現在の日本が抱える課題を温故知新の気構えで歴史に於ける先人の勇気ある決断と実践を学び直し、現代における価値観の変化を考慮しながら、現代版の地方自治立て直しの根本精神「自助・共助・扶助の三助」を「地域から日本へ、世界へ繋ぐ覚悟と改革」が求められる。「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」、これは1750年代半ば頃からの米沢藩政改革、明和・安永改革時に上杉鷹山9代藩主を先頭に施策の根本方針となった。この精神は現在の中央・地方分権政策論に自助・協助・扶助システムを位置づけた。 1989年(昭和64、平成元)に世界と日本及び地方自治体の大転換期を迎えて、ふるさと小松島市は麻植豊市長の「太陽と水と緑豊かな国際港湾都市小松島」を引き継ぎ(8年)、後半8年「保健・医療・福祉のまち」を目標に掲げ、故郷の誇り・個性・可能性探しとその具体策を目指す。その為に市民、市議会の理解を得る役所内の意識・財政改革、P(計画)・D(実行)・Ⅽ(見直)・A(次計画)サイクルを明らかにし、県及び中央政府の関連事業との効果的連携を図るよう努める。上杉鷹山藩政改革「なせば成る」の温故知新(現代版)の現代版である。 (徳島文理大学総合政策学研究科前教授 西川 政善) |