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中央テレビ編集 


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自治随想
長岡市の「士民協働」「市民協働」から「協働の場づくり(隈研吾)」へ
はじめに  
 全国市長会(森民夫元会長)からよく聞かされた「新しい米百俵」「士民協働」そして建築家隈研吾氏提唱の「まちづくりは場所が主役」の話を伺い、時の流れと共鳴できるコミュニティ(対話)で努力を積み重ねこそ、その場所を自分達の協働の場にできるのかなと思えた。

長岡市の歴史 
 新潟県の中央部、人口県内2番(27万1千余)面積(891km2)、平成の大合併で11市町村が合併、日本一長い信濃川、東西に東山連峰・西山丘陵が連なる。上越新幹線、関越・北陸自動車道によって首都圏・北陸・東北方面と高速交通体系が充実。日本三大花火の長岡まつり花火大会は国内外から2日間で100 万人を超し、日本酒・発祥の錦鯉、長岡野菜など地域資源も多い。長岡技術科学大学・長岡造形大学・長岡大学・長岡工業高等専門学校など15の専門学校約7千人を超える学生数だそうだ。平成30年は牧野家初代長岡藩主・忠成から400年、北越戊辰戦争から150年の節目の年、焦土と化した長岡藩に支藩である三根山藩から見舞いとして百俵の米を送られ、長岡藩大参事小林虎三郎はこれを藩士らに分配せず、教育の大切さを説いて国漢学校設立資金に充てる。「何事も基本は人、人づくりこそすべての根幹」との考え方で、長岡のまちづくり、国内外のまちづくり、国づくりの指針とした。更に北越戊辰戦争後の閉塞感の中、長岡藩大参事三島億二郎らが、西洋ランプの明かりの下、士族や町人の垣根を超えた各界各層の長岡人が集い、復興策や新しい時代の商業など熱心に対話し合い「士民協働」によるまちづくりの気概が培われ、殖産興業におけるイノベーションを創り出すことで復興を遂げ今日の長岡に繋げたと考えられる。

長岡市の市民協働  
 平成24年6月市民協働条例を制定、その理念、市民と行政が協働できる具体的な仕組みや環境を整える。条例検討委員会での議論、市内全域30回のワークショップで1000人超の市民の声を反映する。その特徴は、①条文から施策の検討まで市民委員と市がひざ詰めで作り上げた手作りの条例、②市民・市民活動団体・地域コミュニティ・事業者・市・市議会に関する個別内容を掲載、③他自治体条例では例のない「地域コミュニティ活動の推進」を掲載、④「米百俵の精神」を受け継ぎ将来のまちづくりを担う子供たちの人材育成を掲載する。同年開設の「ながおか市民協働センター」は、市とNPO法人が協働で運営し、市民の自発的な活動や各種団体の立ち上げ・運営などに関する相談を受け、関連する団体等との連携をコーディネートする。市民と行政または市民同士がお互いの長所を持ち寄り補い合うことで課題を解決しまちづくりを進めていくのが、「長岡の協働」だというのである。  
 市民協働の場「アオーレ長岡」が平成24年4月にJR長岡駅前にオープン、屋根付き広場「ナカドマ」を中心にアリーナ・市民交流スペース・市役所・議 会などの機能が渾然一体に溶け合う複合施設「シティホールプラザアオーレ長岡」がオープンした。これに先立つ平成13年10月、「市民との協働のまちづ くり」の実証実験として中心市街地の民間の空きビルを借りてオープンしたながおか市民センターの実績を踏まえ、駅から約2kmの距離にあった市役所本庁舎を移転したものであった。設計は新国立競技場の設計者隈研吾氏で、その29年度実績は施設全体の稼働率84.9%、イベント数654件(民間主体のイベン ト557件、延べ来場者数130.1万人、オープンから6年間累積来場者数は延べ813万人。ナカドマやアリーナを中心に市民の自由な発想による協働成果の晴れ 舞台となった。また観光交流拠点における市民協働の取り組みを見ると、長岡市はじめ県内12市町村の自治体・観光団体などが連携し平成28年5月に発足 した中越文化・観光産業支援機構では地域の歴史・文化を活かした広域観光事業に取り組み、日本人初のビール醸造技師中川清兵衛の生誕地にビール園を開設し、約120人収容の大型テントに地場産食材をふんだんに取り入れたメニューを用意、翌年度から運営主体を専門事業者から地域住民を主体とする事業者に移行し、平成29年度の来場者数延べ8.540人を記録する。また2020年には、長岡花火と醸造のまちを通年でPRする2つの交流拠点整備を進め、名物長岡 花火をテーマにするながおか花火館は長岡花火を核に歴史・文化・自然など多様な地域資源の情報発信に加え、地場産品の展示販売・飲食店・野外イベントができるスペースを確保し24時間利用ができる駐車場・トイレを備える道の駅を視野に入れる。更に、酒や醤油・みその蔵元がある地区の国登録有形文化財の土地建物を市が譲り受け、歴史的建造物や庭園をそれぞれの特長を生かしながら再整備し、地区特有の醸造文化や観光情報の発信拠点として駐車場・トイレ・休憩施設などの整備、醸造のまちの食材を活かした飲食店・売店などの立地もする。

長岡市の新しい米百俵(人づくりと未来への投資)  
 将来のまちの活力維持や人口減少社会の諸問題を克服するため、長岡版総合戦略「長岡リジュベネーション~長岡若返り戦略~」を策定(平成27年10月)。将来を担う若者を地方創生の中心に据え若者定着、子育て、教育、働く、交流、安全安心、連携の7つの戦略の推進により人工減少に歯止めをかけ、2040年以降人口23万5千人程度を維持するとした。その推進組織として市内29機関(3大学・高専15専門学校・金融機関・産業界・行政)が参画する「ながおか・若者・しごと機構」を設立した。行政が設置する従来の組織と異なり、若者を含む30代までの若者からなる理事会で事業方針や予算配分を決め、参画する各機関やシニア世代は若者の可能性を引き出すよう支援し、これまでに「ながおか仕事創造アイデア・コンテスト」や「ちょい乗りバス券事業」を実施するなど若者自らが長岡の魅力発信・まちの活性化に取り組む。また、「米百俵」発祥の地国漢学校跡地の「人づくり・産業振興」拠点における機能などについて、市は3大学1高専から「NaDeC構想」の提案を受け、構想実現に向け市・3大学1高専・商工会議所6団体による推進コンソーシアムを設立し再開発事業の先行実施施設「NaDeC BASE」を開設し、学生を中心とした使い手がトライ&エラーを繰り返して運用を考え皆で育てていく施設とする。3大学1高専各校の特色や専門性に、起業家の技術などを融合し新産業の創出と時代に対応する人材育成を目指すとしている。そのうえで長岡市の将来像~長岡版イノベーションの推進を上げ、現在世界の経済社会全体が様々な難題に直面し、一方で技術革新が加速度的に進みそれらの影響が経済・社会に及びつつある。国内では地方は人口減少・少子高齢化が著しく地域コミュニティを維持しまちを継続的に発展させるためには、あらゆる手段を講じなければならない。この困難をチャンスと捉え、市政のあらゆる分野に先端技術や新たな発想を取り入れる長岡版イノベーションを推進し、米百俵の精神が息づく長岡として次の百年を創り出す人づくりと未来への投資を全力で取り組まなければならないとする。

場所を主役とする時代の到来
 先述した隈研吾建築士は「20世紀は建築が世界を流通する巨大な商品と化した時代だった」とし、「しかし私は2011年3月11日東北地方太平洋沖地震以 来、それまでの世界を支えてきた原理やシステムが大地震と津波で洗いざらい流され20世紀の工業社会を支えてきた原理、システムが全て無効、破綻した。換言すれば東京中心主義の時代が終わり、技術・文化・経済・全てが都市から地方という周縁へと流れが変わった」と言い、「建築の歴史を検討すると悲劇から新しいムープメントが生まれ、災害や不況から本当に意味のある新しい動きが生まれ、小さな場所の底知れぬ豊かさ・温かさが実感され夫々の小さな場所を輝かせる建築物ができる。小さな場所で材料・技術・職人たちとできる限り小さなエレメント(小さな木の板・一枚の石など)で建築される建物は民主的な建物で草の根的でトップダウンでなくボトムアップ的にできる。身近にある小さなものから自分たちを立て直し、次に大きな場所・物に効果的に繋げていく。形態論であると同時にコミュニティ論、即ち場所と建築が繋がり響き合うことができれば、自然と人が集まりコミュニティが育つ」と言われ、小さな場所から大きな新国立競技場建設へ、それによってオリンピック開催の大きな場所へと誘うことになったと言えそうだ。

(徳島文理大学総合政策学研究科前教授 西川 政善)