HOME > 連載コラム

中央テレビ編集 


<< 先月のコラムへ    トップへ    >> 次月のコラムへ

自治随想
「中央VS地方」、総体&現場主義の錯覚・ズレ
~その5、平成の大合併をめぐる現場の声~
小さな村の生存権   
 「何のための平成大合併か」を巡って日本国中に悲鳴に似た不安の声が充満する。 日本一広い面積となった高山市に合併した旧宮村生まれで岐阜県職員・県肉牛試験場長や宮村村長を3期務めた大江哲雄氏の「小さな村は生きる資格がないのか」 との主張は先に紹介した。 その東京都に匹敵する日本一大きな面積を持つ高山市誕生に参加した岐阜県丹生川村小谷 伸一村長もまた、合併後変更された住所表記 「高山市丹生川町坊方〇番地〇」 を見ながら、「飛騨の天領からの雄叫び」 と称して想いを発信する。 曰く「地方に住む者、特に農山村地域の人々は必死で国の復興に努力を傾けてきた。米を中心とした食糧の生産は食管制度の下で国民への供給のために増産に努め、 また安定した水の供給のため治山治水に精を出し、山林を守り、更に物づくりの原動力となる電力供給のためにダムや発電施設による集落や村までが水没を余儀なくされ、 更に物づくりに欠くことができない労働力の大半は集団就職で大企業に吸入され地方の農山村は日本の繁栄と共に衰退の一途をたどる。 こうした歴史的背景や社会構造の中で、地方は切磋琢磨し農山村が存続をかけて努力しているこの時に、国は市町村合併を推進し改革と合理化を押し進め、私の村も来年2月1日に十市町村が合併する。人口9万7千人、面積2千179㎢、東京都に匹敵する日本一広い面積を持つ新市誕生だ。 首長を含め36人の特別職と議会議員88人辞職、5億5千万円節減。スリム化すれば確かにぜい肉は取れるかもしれないが、 それだけで自治体は自立できるのか」 と。 従来から小規模自治体である基礎自治体はそれぞれの歴史と文化を刻み、 自然の豊かさが人間の心を育んできた。 地域コミュニティは地方ほど活発で地域に根差している。 改革とか合理化という形式論や方策・財政一辺倒で考えていけば多様性・個性等がなくなってしまう。 また国はこれまでのように、憲法・各法に準拠し地方を交付金・補助金などでいわば操作・誘導し、何時しか地方は陳情政治が当たり前、 自立する自助努力を怠るようになる。 一村一品運動や地域自慢の地域おこし運動は認められても、自治体運営におけるビジョンづくりのために自主財源をどう確保するのかという試みが遅れを取ってきたと思われる。思えば日本列島改造論が関心を集め、昭和40年代からバブル絶頂期にかけて地方自治体の優秀な首長は国から交付金や補助金を少しでも多く得て、ハード・ソフト事業を展開するかで評価されるようになり、 何時しか政治力学の視点が自身も周囲の環境も履き違えてしまった感すら覚える。 国、地方を含めどんな組織も裕福になり過ぎ目的を失うと、 新たな道が見えなくなる、 夢から覚めた時に後悔しても遅いといえそうだ。 この責任をただ地方のみに押し付ける訳にはいかない。 こうした土壌を作ってきた国が、先ず21世紀の国造りの根幹をなす地方の再生から始めなければならず、 その手段としての市町村合併と真の地方分権による地方再生でなければならない。 国の進める三位一体改革は国家財政再建計画であり、市町村合併は弱小地方の切り捨て策でないかという意見に対し、 国家財政再建計画を含め国が担うべき責務 (防衛・外交・教育・社会保障etc)とそれに伴う財政措置を打ち出し、他のすべてを国民に身近な地方に委ねる大胆にして誰にも分かる発想と勇気ある実行力が求められている。 今を生きる私たちは 「洋の東西、官民問わずどんな組織も裕福になり過ぎ目的を失うと、新たな道が見えなくなる」 との言葉を噛み締めたいものだ。

山村は国民の財産
 利根川上流群馬県利根郡新治村鈴木和雄元村長 (4期)は「山村は国民の財産」と語り、 東京一極集中による激変がその周辺地域から全国に広がるにも拘わらずその対策は一向に 成果が見えない。そんな時点で三位一体改革を打ち出し、平成の大合併を強引に進める。豊かさの基準をカネ・物・食・情報・レジャーなどの集積するところが、便利で楽しく豊かな所と履き違えているのではないか。 地球温暖化などしっぺ返し、SDGs社会対応が求められる。 「これらの原因は、 東京一極集中に絡む地方の限界にある。 国土の永続的安定を図る策を早急に講じなければ、日本を保つことはできない」と言う。 気候を左右する資源の多くは地方、特に山間部にある。 森林資源、 水の供給能力、 食糧供給能力、湛水能力、田圃の洪水調整能力、そしてそれらを守るために農業と林業から得る僅かな収入で子を育てる住民がいるのだ。日本人は「疎開」の時代を経験し、私も幼小時であったが多くの人々が知っている。 求めたのは食と安全、生きるための究極の選択であった。 東南海地震など一朝事あれば現実になる。「山村の矛盾」として鈴木元村長は、「田畑山林を資源とし自分たちの生活の中で教育した人材は都市へ流出し都市に貢献、 山で資源を守る人でない。 有害食料におびえながらも安全・安価な食料を求める人たちは農業の責任を指摘する。 大気汚染・水質汚濁させる生産工場は農村部へ進出しない、だから清浄な国土に貢献しているなど、総じて人々は田舎を心の原風景、癒しの空間と言い、都合の良い時に都合の良いものが、 都合の良い分だけ、そこにあれば満足なのだ。 そこに住む人のことを想う人は少ない」 との主張が印象的だ。 とは言いながら手厚い支援を一方的に乞うつもりはない、そこに住む人たちが第一責任者であるからだ。むしろ都市集中型の国土形成は存亡の危機を招くことを強く意識すべきであると提言したかったからだ。 農山村が国土や国民生活を担う役割を深く認識する義務が国民全体にあると思う。 三位一体の構造改革もいいが、目先の視点に明け暮れることなく山村は国民の財産であり、これを保持するための国民的理解を得られる基本的な策を望みたい。 加えて投資だけが策とは言えず、誇りに裏付けされた生き甲斐を植え付ける必要を感じた現場の元村長の切なる指摘だと理解したい。こうした願いを込めて、平成17(2005)年10月 1日に利根郡月夜野町、水上町と合併し、 みなかみ町としてのスタートを切る。 言うまでもないが関東平野利根川上流一帯は、首都圏の一角としてその影響を強く受けてきている。 私も叔父柳生茂一の縁で草津、 嬬恋、 川原湯温泉、 軽井沢など何度か訪れ高原野菜生産地、八ッ場ダム建設で高台への温泉地集団移転の現場など各地を訪れ、 県議・市長時代には高崎市、 前橋競輪場、国体開催時の富岡市、伊勢崎市、太田市、館林市などの見聞で首都圏との繋がりを実感する。この特殊性をどう生かしていくのか、キーワードの一つであろうと感じた。

越県合併
 県の境界を変更する越県合併が岐阜県中津川市に長野県山口村の編入合併 (2005、1、17)、 同時に岐阜県恵那郡北部6町村(坂下町・川上村・付知町・加子母村・福岡町・蛭川村と長野県山口村の6 町村が中津川市に編入され、 旧1市3町4村からなる新中津川市となる。こうした越県合併は、1959年1月1日栃木県菱村と群馬県桐生市以来、実に46年ぶりだ。
 この画期的な越県合併に至った背景と要因を考えてみると、 昭和33年の神坂村の越県分村合併に遡る。 当時の自治庁は旧神坂村のうち峠・馬籠・荒町の三部落を長野県に残し、他の地区を中津川市に合併させるという分村による調停案を提示、長野県はこれを了承し新山口村誕生となったが、 旧神坂村で長野県に残った合併賛成派は児童の登校拒否・越県通学など紛糾が続く。 こうした歴史的背景と山口村の財政状況、さらに拡大した新中津川市における山口村の地理的好条件が厳しい越県合併に向かわせたと思われる。 妻と一緒に馬籠宿や木曽山脈沿いの木曽川渓谷・母校中央大地方自治ゼミ同期生の学友が住む伊那盆地を巡りながら、人口2千人弱の山口村が文化的・観光的にも大きな意味を持つ馬籠の存在を痛感する。片や長野県にしてもその財産を簡単に他県に譲れないし県民も馬籠に拘るだろうと思える。 こうした心情は別にして、合併問題となれば住民意思の尊重が配慮されなければならない。かくして2003年1月6日中津川・山口村法定合併協議会設置、同年2月22日山口村住民意向調査の結果により再選された合併推進派の加藤村長は越県合併を選択、翌年3 月8日合併協定書調印、村議会・市議会で可決、 長野県知事並びに岐阜県知事に合併関連議案を提出、 岐阜県議会可決 (10月7日)、 長野県議会は議員提案で可決、 両知事から総務省へ申請書提出、2005年1月17日総務相が合併決定する。 ほぼ同時進行的に2003年3月6 日中津川市・恵那郡北部町村法定協議会が設置される。 翌年7月12日合併協定書調印(7月5日恵北6町村議会、 23日中津川市議会可決)、 同年8月3日岐阜県知事に提出、 以降同じ手続きを経て新中津川市の誕生である。 人口5万7千人、面積 300 平方キロであった中津川市は1市3町4村の編入合併により、 南北に長く人口約8万5千人、 面積 676 平方キロの広大な新市となった。 新市建設計画では 「豊かな自然と生きる元気都市」のキャッチフレーズで、「かつりょくゾーン」 「いきいきゾーン」 「おもいやりゾーン」 「えなさんゾーン」に分け、それぞれの持ち味を生かした地域づくりを目指そうとしている。 大いに期待したい。明治の廃藩置県以来、府県制度に大きな変更はない。 昭和の大合併、平成の大合併においても然りである。 越県合併への国民の抵抗感はどうだろうか。 2001年11月に行われた長野県山口村の「市町村合併に関する住民アンケート」(対象者16歳以上の全村民 1783名、 回答者 82.9%)の結果を見ると、 山口市では合併賛成派が約71%と多く、 そのうち中津川市との越県合併希望者が7割を超え、 同じ長野県木曽郡との合併に賛同する者は 17%に過ぎないというクリアな結果となり、 若年層を中心に住民の生活の多くが長野県よりも岐阜県に向いている証左と見える。 一方で越県合併の実現となると県の線引きという難しい事業となり、余程の条件が整わなければならない。 今の状況では越県合併には相当の条件が必要と思えるが、 将来に向けそのハードルは徐々に低くなってくるのでないか。 また市町村合併の進展と共に都道府県の役割、 存在意義の問い直し、 市町レベルの自治体圏域の大きさ・その役割・機能が見直されるかも知れない。

(徳島文理大学総合政策学研究科教授 西川 政善)