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中央テレビ編集 


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自治随想
中央・地方政府間関係論
~その6、 都道府県と市町村との新しい関係~
 都道府県と市町村は、ともに住民の福祉を増進するために在り、本来は対等の立楊でなければならない。ところが明治以来敗戦まで都道府県には、官選知事が置かれ中央政府の出先機関であった。戦後においても知事は公選になったが、 機関委任事務が都道府県に拡大され、都道府県は国の代行機関のようになり、市町村に対して優越的な地位に立っていた。それを本来の姿に戻すために、第1次分権改革では機関委任事務の廃止などで都道府県と市町村も新しい対等・協力関係に、事務にも市町村優先の原則から、 条例で市町村に分権できる特例が新設され、 市町村からも議会議決で分権を要請できるようになる。また、 市町村が都道府県の関与を最終的には裁判に訴えられる道も開いた。 都道府県が優位に立つ関係を崩していくわけではないが、 都道府県に予測される空洞化から、道州制や広域自治体の検討及び意識変化が生まれ始めてきつつある。

都道府県、市町村の新たな役割分担
 戦後民主化で、 知事は住民から直接選挙で選ぶことになる。しかし、 戦前に市町村長を国の機関とみなして戸籍などの国の仕事をさせてきた機関委任事務が都道府県にまで広げられた。即ち機関委任事務システムの下では、国が政策の企画・立案をし、市町村が実行する、都道府県は国の指示を受けて市町村を監督する形が多く、都道府県の事務の約8割が機関委任事務という実態であった。つまり都道府県の仕事の大半は国の仕事を肩代わりしていたと言ってもいい。その結果、 地方分権委員会第一次勧告(1996 年)が指摘した「都道府県知事が各中央省庁に代わって縦割りで市町村長を広く指揮監督し、国・都道府県・市町村の縦割りの上下・主従関係による硬直的な行政システムが全国画一的に構築され、地域における総合行政の妨げになっている」という状況になっていた。具体的に、私の経験によると都道府県の土木部長・農林水産部長などに中央省庁から天下る人事が常態となり、国の政策が都道府県を通じて市町村に強固な縦割り構造を持ち込む。更に具体的に言えば、下水道行政を巡って国土交通省は公共下水道、農水省は農業集落排水事業をそれぞれ縄張りとして争い、現場では厳しい財政難の中で広域の合併浄化槽を含めコストの安い最適な下水処理方法を各地域で編み出せない苦労を味わったものだ。  
 そこで、 地方分権一括法は機関委任事務の廃止によって、都道府県の事務に国の仕事をなくし、 完全な自治体化を図り、更に都道府県は「市町村を包括する広域の地方公共団体」、市町村は「基礎的地方公共団体」という旧地方自治法に定められている役割分担を踏襲しつつ、事務処理の市町村優先の原則の徹底や都道府県が統一条例を作れる規定を削除するなどに依って市町村が多様な行政を展開できるようにした。また新地方自治法は、市町村について、 都道府県が処理するものとされる事務を除いて、一般的に地域における事務などを処理する(2条3項)とし、市町村優先の原則を定めた。これまでの都道府県による①広域②市町村の連絡・調整③市町村の統一した事務処理④市町村が処理することが不適当な事務の処理による補完、の4つのうち、統一処理の役割を削除して市町村優先原則を補強した。

都道府県の関与を訴える道を開く
 都道府県と市町村を国と自治体と同じように、対等・協力の関係にするために、機関委任事務廃止による都道府県の市町村への包括的な指揮監督権の廃止や都道府県が市町村に関与する場合には、中央省庁が自治体に関与する場合のルールを全面的に適用し、市町村が都道府県の関与に不服の時は自治紛争処理制度で審査を申し立てることができ、その結果になお不服な時は裁判に訴えられる道が開かれた。都道府県が市町村の事務処理に関与する場合には、従来は都道府県が包括的な指揮監督権を持ち電話一本で市町村に注文を付けることができたが、地方分権一括法で中央省庁の自治体への関与に準じて都道府県も法律かそれに基づく政令に依らなければ関与できなくなったのをはじめ、助言・勧告、資料提出要求、協議、是正の要求など関与の種類も法定化される(新地方自治法245条)。これらの制度は2003年8月から本格稼働されるが、各方面さまざまなケースにおいて課題が指摘され、今後の対応如何が問われている。こうして市町村が都道府県の関与に不服の時には、新設された国地方係争処理システムに準じた自治紛争処理制度によって審査を申し立てることができようになったが、今後に対応が気がかりな市長勇退(05年2月)時点の率直な私の感じであった。

都道府県条例による市町村への分権
  新地方自治法で、事務処理の市町村優先の原則が進められ、一般の市町村が処理できない事務も市町村の規模、能力に応じて分権できるようになる。即ち、都道府県がその権限の一部を市町村と協議のうえ、条例で分権できる制度を新設した(条例による事務処理の特例)。更に04年の地方自治法改正で、市町村が議会の議決を経て、都道府県に事務移譲を要請できるようになる。こうして都道府県が市町村に事務を押し付けないように、分権に当たって都道府県と市町村が対等の立場に立った事前協議と事務執行に要する経費の財源措置を都道府県に義務付けた(地方財政法28条)。しかしこの制度で分権された事務については、都道府県の事務が中央省庁の知らないところで移譲されることになるので、国の関与について特例を設けてこの特例分権に限り、都道府県が市町村に対しこれまでの勧告でなく「是正の要求」をできることとする。  
 こうして、条例による都道府県の権限の一部を市町村に移譲する新方法の活用は、2000年 4月1日には47都道府県で145本の法律(延べ1276本)、一都道府県当たり平均27.1本の法律移譲が、03年9月1日時点では150本(延ぺ1501本)の、一都道府県当り平均31.9本の法律に増えた(地方六団体地方分権推進木部)。増田寛也元知事の岩手県では事務と人材、財源をセットにして移譲する一括事務移譲を行う。02年度大船渡市・大東町に県道改築事業などに県職員1人をつけて移譲し、03年度には県の岩泉士木事務所が管理する国道(340号・455号)と主要地方道、一般県道の維持管理を岩泉町と田野畑村に県職員5人、約3億6600万円の財源付きで移譲している。将来的に、国や都道府県からの権限と人材が市町村に降りていく、また、住民に身近な事務は市町村へ(補完性の原則)に合致する。 また、鳥取県の片山義博元知事は、「全市町村一律でなくとも意欲ある市町村には移譲する」との考えから、同県内で「まだら分権」を進め、03年6月現在法律54本に関わる416件の事務を市町村に移譲する。中でも都市計画法29条の宅地造成や建物建設などの開発行為の許可は知事か人口20万人以上の市長の権限だが、03年6月現在県下39市町村のうち7市町(鳥取市・米子市・倉吉市・三朝町・東伯町・淀江町・羽合町)に移譲している。一番大きい鳥取市で約15万人口、同県では、毎年度初めに市町村から要望を聞き、新地方自治法が定める協議を経て「鳥取県知事の権限に属する事務処理の特例」で、移譲しているという。隣りの島根県では03年9月に、2ha以下の農地転用許可など62項目の事務を新たに権限移譲項目にあげ、市町村が選択して移譲が受けられるようにした。  
 このように、都道府県と市町村も法的には中央政府と地方政府の関係と同じように、対等・協力関係になった。しかしその一方で、都道府県から市町村への補助金など財政面での上下関係などがあって、本当の対等・協力関係になるにはなお改革しなければならない課題は少なくないと言えそうだ。

新しい都道府県像への模索
 03年11月、地方制度調査会(諸井虔会長)が新しい市町村合併の推進策を答申の中で、都道府県知事が合併の構想を策定し、関係市町村に合併協議会や合併に関する斡旋をする新たな役割が盛り込まれたことについて、知事側から「地方分権一括法ができた段階で、国と都道府県と市町村は対等になった。それを忘れてしまってあたかも都道府県を上位団体のようにし、半強制的に合併を進めさせるのは分権の思想からも間違っている」との反論が出、意識変化が表面化する。即ち、都道府県の役割は地方分権一括法で、広域、市町村の連絡・ 調整機能はIT技術による電子自治体化などを考えると、縮小していくことが予想される。更に、規模的に不適当な市町村事務の補完機能も合併の進展によって市町村の力量が向上することや事務配分の市町村優先の原則の運用拡大などで減少していく可能性が予想される。ここに都道府県のいわゆる空洞化が起こり得る状況も考えられる。そこで具体的に、青森・岩手・秋田の北東北三県が統計システム・データの統合、職員研修システムの共同化、地方債の共同発行などを通じて、合併を目指し将来的には道州制を目指すというのである。こうした動きに対して、地方自治法も04年の改正で、都道府県が自主的に合併できる手続き(6条)を加える。それは、関係都道府県は議会の議決を経て、合併を申請し、内閣が国会の承認を経て決定する仕組みである。こうした動きに弾みをかけるように、04年3月、新たに発足した第28次地方制度調査会に対し小泉首相が「道州制や大都市制度の在り方など最近の社会経済情勢の変化に対応した地方行財政制度の構造改革」を諮問する。これを受けた地方制度調査会は道州制や地方の自主性・自律性の拡大、議会の在り方などを今後の審議項目とする方針を決めている。都道府県の新たな役割の模索が公式の場で論議され、対する各都道府県はどう対応していくのか、同様に市町村にとってもその将来に係る議論を早急にかつ真剣に始めて行かなければならない。04年三位ー体改革スタートに当たる全国市長会そして私たち各市長の大きな節目における想いであった。05年2月市長勇退の私にも生涯忘れられない日々であった。(田嶋義介著「自治体が地方政府になる~分推論」参照)

                                                     (徳島文理大学総合政策学研究科教授 西川 政善)