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中央テレビ編集 


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自治随想
中央・地方政府間関係論
~その2.中央政府と地方政府の役割分担~~

ヨーロッパ地方自治憲章(初の自治国際協定)
 日本の地方分権時代がようやくスタート、遅まきながら世界の潮流、先進80か国以上の分権化の流れに乗ることになった。しかし未だに日本は中央集権国家的と言われる事が多い。なぜか。それは、ザックリと要約すれば中央政府と地方政府の役割分担が明確でないからだ。  
 世界の地方分権化の動きを支えているのはヨーロッパ地方自治憲章だ。戦後、人権・民主主義の確立などを目指して発足した欧州評議会機構の一つであるヨーロッパ地方自治体会議が努力し、1985年に欧州評議会が採択した世界初の地方自治の保障に関する国際協定文書であり、41か国が加盟、うち34か国(2000年4月現在)が批准、日本もオブザーバー参加している。その内容は、前文において①公共的事項の運営への市民の参加権が欧州評議会全加盟国に共通の民主主義原理②真の権限を持った地方自治体の存在が効果的で市民に身近な行政を供給し得る③民主的に構成された意思決定機関を持ち、権限、権限行使の方法と手段、その実現に要する財源に関して広範な自律性を持つ地方自治体の存在が必要であることについて合意したと謳っている。また、第2条に「地方自治の原則は法律または実行可能なところでは憲法で承認される」とし、法か憲法による地方自治の保障を定める。第3条は「地方自治は地方自治体が自らの責任において、地域住民のために、法律の範囲内において公共的な事項の基本部分を管理・運営する権利と能力を意味する」と定義している。特に重要なのは第4条3で「公的な責務は、一般に、市民に最も身近な地方自治体が優先的に履行する。他の自治体への権限配分は、仕事の範囲と性質及び能率と経済の要求を考慮して行われる」としている。これが所謂「補完性の原理」と言われる自治体の事務配分の原理を定めたもので、市民に身近な事務は先ず市町村がして、市町村ができないことは都道府県、都道府県ができないことは国が果たすという「分権の原理」でもある。  
 さらに第9条では財源について、①地方自治体は、国の経済政策の範囲内において十分な自主財源を付与され、その権限の範囲内でその収入を自由に用いることができる。②地方自治体の財源の少なくとも一部は、法律の範囲内において地方自治体が率を決定する権限を有する税ないし料金から得るものとする③地方自治体に対する補助金の交付は、可能な限り特定の事業に使途を限定してはならない。補助金の交付は、地方自治体がその権限の範囲内で政策決定を行使する基本的な自由を奪ってはならないと、財源の保障を求めている。

中央政府と地方政府の役割分担
 こうして日本は地方分権時代をスタートさせるが、まだ中央集権国家的と言われることもしばしば。それは端的に言えば、中央政府と地方政府の役割分担が明確でないからだ。両政府の歳出(2002年決算、総務省資料)では、地方政府が防衛費と年金費・恩給費を除くすべての分野で大きな比重を占め、全体の約6割強(61.9%)を支出し、国は約4割弱(38.1%)であり国際的に見ても地方は沢山の仕事をしていることになる。しかし、それも見せかけで中央政府は権限と財源を握って、地方政府の歳出をコントロールし「集権型分散システム」(神野直彦東大教授)の現状となっている。この不明瞭な役割分担こそが3重行政の温床だ。私の市長時代の経験から言うと、公立小中学校の校舎は市町村が建てる、文部科学省は義務教育諸学校施設費国庫負担法により負担金を出す、これでは足りず市町村は自主財源を用意するほか地方債(起債)を発行して借金をする、起債は06年度からはこれまでの総務省、知事の許可制から事前協議制に移行するが、政府資金を借りる場合には総務省の同意が必要となる、多くの市町村は政府資金に頼らざるを得ないので起債には都道府県知事の許可が必要となる。だから、市町村は都道府県を通じて建設計画を文科省に申請する、即ち、建設を認めるかどうかは負担金を握る文科省の裁量となる。こうして校舎建設は市町村の仕事であるが、文科省・都道府県も関与する、政治家も市町村議・都道府県議・国会議員も関与することになるし、言うまでもなく起債は借金そのもの。住民は自前の負担がどれだけになるのか、受益と負担の関係がよく見えず、どんな校舎ができるのかすら分かり難い。この点、分権が進んだフランスで学んだことは、小学校の施設整備は市町村に、中学校は県に任せ、財源も交付金を新設して手当てすることで校舎建設の受益とそれに必要な負担の関係が住民にはっきり見え、税金を使ってできる校舎に関心を持ち監視もしやすくなる。こうして中央政府は本来の役割である国政全体や地方政府にはできない国際関係に目を向け、国と地方の役割分担の明確化に努めている。
 この国と地方の役割分担について1949年(昭和24)シャウプ勧告(事務再配分3原則)を打ち出す。①行政責任の明確化の原則(国・都道府県・市町村の事務は可能な限り明確に区分した上で、一段階の行政機関には一つの特定の事務が割り当てられる)、②能率の原則(事務を能率的に遂行するために、その規模・能力・財源によって準備の整っているいずれかの段階の行政機関に割り当てられる)、③市町村優先の原則(地方自治のために、事務は第一に適当な、より住民に近いレベルの市町村に与えられ、第二には都道府県に補完性の原則として優先権が与えられる)とした。その上で財源措置として、今日の地方交付税の先駆けとなる地方平衡交付金の制度化を勧告した。「国と地方自治体が共同しつつ、いかにして責任の明確化を図るかという点に重点を置いて、新しい国と地方の関係を確立すべきだ」とする画期的な勧告と言える。
 時は流れて1994年(平成6)、私の市長二期目、全国知事会・市長会など地方6団体は、地方分権推進意見書で国と地方の役割分担の明確化と国の事務を天皇、外交、防衛、司法、通貨、国政選挙、全国総合開発計画、公的保険など16項目に限定するよう求めた。96年(平成8)地方分権推進委員会の中間報告で、「地方分権はわが国の政治・行政の基本構造をその大元から変革しようとするものであり、その波及効果は深く広い。それは明治維新、戦後改革に次ぐ第三の改革というべきものの一環であって、数多くの関係法令の改正を要する世紀転換期の大事業である」と宣言。地方分権が必要な理由として①中央集権型行政システムの制度疲労②変動する国際社会への対応③東京一極集中の是正④個性豊かな地域社会の形成⑤高齢・少子化社会への対応を挙げた。特に「明治維新以来の中央集権システムは限られた資源を効率的に活用して後発国であった日本を短期間のうちに近代化することに貢献した。しかし権限・財源・人間、そして情報を中央に過度に集中させ、地方の資源を収奪し、その活力を奪う。全国画一の統一性と公平性を重視するあまりに、地域的な諸条件の多様性を軽視し地域ごとの個性ある生活文化を衰微させる。更に国が負うべき国際調整課題が激増してきているにもかかわらず、国の各省庁の対応は迅速、的確であるようには見えない」と指摘する。その上で「目指すべき分権型社会の姿」として、①地域住民の自己決定権の拡充②国と地方公共団体の関係を現行の上下・主従の関係から対等・協力に変える③地方公共団体の自己責任の拡大④分権型行政システムで多様な住民意向を反映した民主主義の徹底、国と都道府県・市町村間で行われる報告・協議・申請・許認可等の事務の大幅な簡素化により官官折衝のための時間・人手・コストを削減する行政改革を描いた。
 こうした考え方から、中間報告は「国と地方の新しい関係」に関して、①国と地方の役割分担の基本的考え方②機関委任事務制度の廃止③地方公共団体が担う事務の整理④これまでの機関委任事務の取り扱い⑤国・地方公共団体間の関係調整ルールの創設⑥必置規制の縮小⑦国庫補助金負担金と税財源の見直しを打ち出した(96年12月第1次~98年11月第5次勧告)。これらの原則は2000年4月施行の新自治法第1条の2(地方公共団体の役割、国と地方公共団体の役割分担の原則等)及び、第2条(地方公共団体の法人格、事務、地方自治行政の基本原則)に規定された。しかし大きな課題は、国と地方の役割分担と国の立法の原則である。新地方自治法の新設された第1条の2の第1項の「地域における行政」と「自主的かつ総合的に実施する役割」に関して、「重点的に担う」との「あいまいさ」を残し、立法の原則・法令の解釈、運用基準など重要な課題を現実的にどう具体化していくかが心配であった。その後、「闘う知事会」を先頭に地方6団体は現実的対応を巡って激しく対峙することとなる。

                                                     (徳島文理大学総合政策学研究科教授 西川 政善)