地方分権改革のこれまでの推移をおおまかに振り返ってみると
◆第1次分権改革
平成5年6月、地方分権推進に関する決議
平成7年5月、地方分権推進法成立
地方分権推進委員会発足(平成7年7月)
第1次勧告(H8.12)、第2次(H9.7)、第3次(H9.9)、第4次(H9,10)
平成10年5月、政府「地方分権推進計画」
平成10年11月、地方分権推進委員会第5次勧告
政府「第2次地方分権推進計画」(H11年7月)
平成11年7月地方分権一括法成立、同12年4月施行
平成13年6月地方分権推進委員会最終報告
◆三位一体改革
地方分権改革推進会議発足(平成13年7月)
「事務・事業の在り方に関する意見」公表(H14年10月)
平成15年6月、地方分権改革推進会議「三位一体の改革に関する意見」
同会議「地方公共団体の行財政改革の推進等行政体制の整備についての意見」(H16.11)
平成17年11月、政府・与党合意「三位一体改革について」
平成18年12月、地方分権改革推進法成立。地方分権改革推進委員会発足(H19.4)
政府「地方分権改革推進本部設置」(H19.5)
◆第2次地方分権改革
平成20年5月、地方分権改革推進委員会「第1次勧告」、同年12月「第2次勧告」
平成21年3月、政府・地方分権改革推進委員会「出先機関改革に係る工程表」
地方分権改革推進委員会「第3次勧告」(H21.10)、「第4次勧告」(H21.11)
平成21年11月、政府「地域主権戦略会議」設置
政府「地方分権改革推進計画」(H21.12)
政府「地域主権戦略大網」(H22.6)
政府「アクション・プラン~出先機関の原則廃止に向けて~」(H22.12)
平成23年4月、地域主権関連三法「国と地方の協議の場に関する法律」「第1次一括法」「地方自治法の一部を改正する法律」成立
平成23年8月、第2次一括法成立
平成25年3月、政府「地方分権改革推進本部」設置、地方分権改革有識者会議設置(同年4月)。
平成25年6月、第3次一括法成立。
◆地方衰退への対応
以上のような流れの中で、三位一体改革をピークとし大改革の最中に全国市長会役員として係わり、その後現職退任後(平成17年)も各方面の立場から真の地方分権・地方自治の確立、「地方創生の道」を模索し、更なる進展に思いを巡らせる日々である。
わが国の現状だけでなく世界に目を転じてみても、地方衰退への対応如何は世界共通の、いや特に先進国に共通する課題でないかと思えてならない。各メディアの論調を見聞すると、欧米の政治的激乱は産業や人口減に悩む地方の有権者が既存政治、政党、エリート層、産業システムのあり方に、「NO」を突きつけた格好である。具体的によく指摘されるのは、英国のEU(欧州連合)離脱を支持したのは地方の有権者、米大統領選では人口密度の低い地域ほどトランプ支持が多かった傾向、仏大統領選でも経済停滞の著しい地域ほど極右・国民戦線(FN)のルペン候補が支持されていたようである。
ひるがえってわが国はどうか。いろいろな政治現象はあるにはあるが、欧米のような政治的な混乱はないようにも感じる。だが、何か奥深いところでうごめく何かを感じる兆候も感じられてならない。その最たるものとして、大都市と地方の深刻な格差を挙げたい。私は昭和30年後半の高度経済成長期、集団就職・集中進学の渦中で地元を離れ、U・J・Iターンもあったが、大勢は地方の活力をボディブローのように低下させ、高齢化率も結果的に上げてしまった世代である。もう数十年も前からこうした事態が予測されていたが、有効な手段は打てていない。このまま放置し続ければ、いずれは海外に見るように「地方の反乱」が起こり兼ねない。いや、私には今から40年前1977(昭和52)年、「徳島に起こった日本政治の転機現象『阿波戦争』」(拙著)の経験がよみがえる。今様に言い換えると、現状を劇的に変え、県民ファーストを目指す側と、既存秩序を維持しつつよりよい改革を図ろうとする対立構図であり全国的にあるいは海の向こうアメリカまで当時報道されたものである。
それでは地方の衰退をどのように止めればいいのか。その手法としていつか来た道が今も考えられる。第1に産業政策、即ち工場誘致やイノベーション促進などの産業政策だ。昭和37年新産業都市建設促進など多く取り組まれたが、折角工場進出があっても不況時に撤退したり、グローバル化の進展で企業は国際競争の観点から新興国に生産工程を移してしまう傾向が強まる。
そうなると次に保守、保護主義的な考えが抬頭、関税引き上げなど貿易障壁によって地方の産業や雇用を維持しようとする。しかしそうすれば輸入品の値上がりによって産業競争力が失われかねないという国内の反対論が強くなる。「アメリカファースト」、「都民ファースト」の動きがこれである。
第3の道は、従来のように工場誘致一本でなく、今ある産業を守りながら一方で高所得でなくても暮らせる生活基盤をつくり直すやり方が注目されている。そのためには地域共同体の相互扶助を復活させたり、地方への財政移転をしっかり制度化し、また大都市住民の理解・協力も必要となろう。
思うに産業政策の成功には企業の協力、保護主義の成功には慎重な制度設計が、そして地方が成長重視の価値観から転換された暮らしやすい生活基盤をつくり直す第3の道が大都市住民の理解を得て描けるかどうか、こうした方向での思考とシステム化、創意工夫、決断と実行が、地方創生・地方再生の根底にあると思うのである。
(西川政善、徳島文理大学総合政策学部(兼総合政策学研究科)教授)
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