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中央テレビ編集 


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◆新年です。一つの区切りとしたいものです。

 明けましておめでとうございます。1昨年より年賀状を脱却?しております。当コラムにてのアップのとおり12月号にて挨拶状を、一部には郵便、或いはSNS上にアップしました。
 思えば、このコラムの前身であるエッコノミージャーナル誌に連載を始めてより25年、4半世紀が経過したこととなります。
 近年は、生成AIの話題が中心となっており、半世紀以上の歴史を持つ『労演』『市民劇場』関連の執筆が減っているようです。時の経過によりこれらの活動へのモチベーションが減っているようです。観劇を続けるのか?卒業するのか?悩みつつの日々でありますが、新年ということで、1月例会の紹介をさせていただきます。


 劇団NLTは、1964年創立の老舗劇団。翻訳劇を核に、言葉の精度と俳優の実力で“人間の可笑しさと切なさ”を立ち上げる舞台づくりに定評があります。
 今回の1月例会『ミュージカル O.G.Ⅱ ―歌って、生きて―』は、かつてネット動画で話題となり“オールドガールズ (O.G.) ”として脚光を浴びた2人、スミ子とカズエの“その後”を描く続編。時が流れ、世間は彼女たちを忘れ、片方は失踪、片方は熱海のスナックに流れ着く――そんな人生の「消化試合」を前に、突然の再会が運命を再び動かします。歌うことを生きる支えにしてきた2人が、迷い、ぶつかり、それでも前へ進む姿を、笑いと涙、そして生の歌声で届ける一作です。
 今後も、観劇活動を続けるのか?真摯に考えて行きたいと思っております。

◆ 近年は、このコラムの出自である『IT,ITC,AI』の話題が中心となっております。

 昨年 (25年) の投稿一覧をまとめてみました。時折、欠稿しているのが、寂しいのです。



特徴(詳細・背景説明つき)
1月
(2501)
年初の区切りとして、年賀状文化の見直しという身近な話題から入り、社会慣習や人と人との関係性が静かに変化している現実を提示。その流れの中で生成AIを含む技術進展を「一時的な流行」ではなく、「思考様式や生活環境を変えていく不可逆的な変化」として捉えている。高齢期に差し掛かった筆者自身の立場を織り交ぜながら、変化を拒絶せず、しかし盲信もしないという姿勢が明確に示され、年間全体の思想的な出発点となった回。
3月
(2503)
確定申告・消費税・インボイス制度といった実務を通じ、行政システムのIT化が必ずしも利用者の利便性向上につながっていない現実を指摘。国税庁システムのUI改変など具体例を挙げ、制度設計と現場感覚の乖離を浮き彫りにしている。生成AIや検索AIを補助的に活用しながらも、「技術があること」と「使いやすいこと」は別であるという冷静な視点が示され、技術万能論への距離感が一段と明確になった。
4月
(2504)
画像生成AIの急速な進化を受け、「ジブリ風」表現を題材に、著作権・肖像権・作風模倣の境界について整理。技術的な凄さへの率直な驚きと同時に、法制度や倫理が追いついていない現状を示し、利用者側の判断力と責任の重要性を強調している。単なる技術解説ではなく、「使えるか」ではなく「どう使うべきか」を問う姿勢が前面に出た回。
5月
(2505)
Googleの「Titans」論文を切り口に、生成AIの長期記憶と人間の会話・思考を対比。トランザクションとセッションという概念を用いて、AIの進化を人間同士の対話に置き換えて説明することで、専門的な内容を平易に噛み砕いている。AIが賢くなることの本質を「文脈を保持できるか」という観点で整理し、年間を通じた技術理解を一段深いレベルへ引き上げた回。
7月
(2507)
阿南商工会議所で実施した生成AIセミナーを題材に、地方・中小企業が生成AIとどう向き合うべきかを具体的に論じている。派手な成功事例や過度な期待ではなく、「どこまでやれば十分か」「無理をしない導入とは何か」という現実的な線引きを提示。理論から実装、そして運用へと視点が移り、年間テーマが“現場論”として定着したことを示す重要な回。
8月
(2508)
ChatGPT-5のリリースを受け、モデル統合や推論能力の向上といった技術的進歩を整理する一方、インターフェースやユーザー体験への違和感にも言及。技術進歩を礼賛するのではなく、「使う側にとって何が本当に変わったのか」という視点で評価しており、論調が明確に“人間中心”へとシフトしていく過程が読み取れる。
9月
(2509)
仮想通貨詐欺サイトの実例や、AI関連企業のIPO・上場廃止事例を紹介し、「AIだから成長する」「最新技術だから安全」という印象操作の危険性を強く指摘。問題の本質は技術ではなく、人間の欲望や期待、思考停止にあることを明確に示し、投資リテラシと情報リテラシの重要性を読者に突きつけた回。
10月
(2510)
過去のオーナー商法や技術詐欺の歴史を振り返り、生成AI時代においても繰り返される人間社会の構造的な問題を整理。新しい技術が登場しても、リスクの本質は変わらないという視点を提示し、読者に主体的な判断と距離感を求めている。年度後半の総括的性格を持つ回。
12月
(2512)
総括的コラム。IT・ICT・AIを肯定も否定もせず、「それを使う人間側の姿勢」に焦点を当てて再整理している。連載全体を俯瞰し、技術進歩そのものよりも、冷静な理解、判断力、学び続ける姿勢の重要性を改めて提示しており、事実上の“年度レビュー”として位置づけられる内容。

 この一年の連載では、年初のささやかな生活習慣の見直しから始まり、確定申告や行政システム、画像生成AIの急激な進化、生成AIの内部構造や記憶の仕組み、地方や中小企業の現場での活用、さらには投資詐欺や過去の商法との類似点にまで話題を広げてきました。一見すると雑多なテーマに見えるかもしれませんが、私の中では一貫して「技術をどう評価し、どの距離感で付き合うべきか」という問いが軸にありました。  
 新しい技術は確かに魅力的です。しかし「新しいから正しい」「AIだから安心だ」という発想は、これまで何度も人を惑わせてきました。2025年を振り返ってみて強く感じるのは、技術の進歩以上に、使う側の判断力や成熟度が問われる時代に入った、ということです。何を取り入れ、何を距離を置くのか。その選択を他人任せにせず、自分の頭で考え続ける姿勢こそが、これからますます重要になるでしょう。  
 本稿では、まず2025年の連載内容を一覧として整理した上で、この一年を通じて私自身が感じ、考えてきたことを改めてまとめてみたいと思います。それは過去を総括するためだけでなく、新しい年をどう迎え、どのように技術と向き合っていくのかを考えるための、ささやかな助走でもあります。


 2025年を振り返ってみて、改めて感じるのは、技術の進歩そのものよりも、それを前にした人間の姿勢が強く問われた一年であったということです。生成AIやITの進化は目覚ましく、出来ることは確実に増えました。しかし同時に、「考えなくてもよい理由」を技術に求めてしまう危うさも、これまで以上に露わになったように思います。  
 技術は中立です。善にも悪にもなり得るのは、それを使う人間次第です。便利さや効率性に目を奪われ過ぎれば、判断を委ね、自分で考えることを放棄してしまう。一方で、過度な警戒や拒絶は、新しい可能性の芽を自ら摘み取ってしまいます。その間にある、冷静で主体的な距離感をどう保つかが、これからの時代を生きる上での重要なテーマなのでしょう。
 2026年は、さらに多くの技術が私たちの前に現れるはずです。名前の新しさや話題性に振り回されるのではなく、「それは何を変えるのか」「自分にとって本当に必要なのか」を問い続けたいと思います。このコラムが、その問いを立てるための一つの材料となれば幸いです。本年も、切磋琢磨しながら、技術と人間の関係を見つめていきたいと思います。