いま、世界で新型コロナウイルスが蔓延し非常事態となっている。今回は感染症について歴史を紐解いてみたい。生物に必ず親が存在するのは、現代では誰 もが知る常識である。しかし、かつては無生物から生物が生まれると信じられていた(自然発生説)。
パスツールは、肉汁を煮立てた後には腐敗しないことを白鳥の首型フラスコを用いた実験で証明。自然発生説を否定する歴史的な業績を残した(1861)。また50-60℃でおだやかに加熱する「低温殺菌法」を提唱。現在身近な食品や薬品で広く用いられ「パスツリゼーション」と呼ばれている 。
その後ニワトリコレラ菌の研究で「弱毒生ワクチン」を生成し、炭疽菌ワクチンの公開実験で大成功をおさめた(1981)。狂犬病の犬に噛まれた9歳の少年メイステルに弱毒生ワクチンを接種して全快させ、同ワクチンは数年で欧州に広まり人々を救った。最初の患者メイステルはパスツール研究所の守衛となり、ドイツが研究所に攻め込もうとしたとき、彼は命をかけて職務を全うしたという。
<ドイツでは 不滅のコッホの 3原則>
パスツールと同時期、ドイツではコッホも活躍していた。当初は勤務医だったが、田舎町で開業しながら、顕微鏡で研究を継続。死んだ羊から炭疽菌を発見して研究を続け、コッホの3原則を提唱した。様々な画期的な内容を発表し、医学会に衝撃を与えたのである。さらに、結核菌およびコレラ菌を発見し、ベルリン大学の教授に就任(1885)。世界的な学者・ベーリング、エールリッヒ、北里柴三郎などを育てた。
<日本を 救った北里 柴三郎>
北里柴三郎は熊本の医学校から東京医学校へ進み、内務省衛生局に入 職した。細菌学を学んでコッホのもとに留学。チフス菌とコレラ菌の研究テーマを見事にこなし、難しい課題として破傷風菌の純粋培養に成功した。その後、感染症に対する画期的な新療法「血清療法」を提唱。病原体に対して血中で作られた抗体を治療に用いる方法である。
コッホの指導により、彼とベーリングが共同でジフテリアの血清療法を完成した。この功績で、ベーリング氏だけが第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞。このとき北里も候補に挙がっていたが、本来なら複数受章が妥当とされる。北里が帰国する際、ドイツ帝国は外国人に初めて「大博士=プロフェッソル」の称号を与えた。
帰国後、「脚気」の病因について東京大学と対立し、伝染病研究所設立計画が難しくなった。そのとき、慶応義塾大学の創設者、「学問の父」福沢諭吉が救いの手をさしのべ、諭吉の借地で研究所が開始。1894年香港でペストが流行した際、当地で北里はペスト菌を発見し国際誌に発表して高評価を得た。伝染病研究所から志賀潔、野口英世など世界的な医学者が輩出され、北里氏は慶応大学医学部の初代医学部長に就任。いま、北里は東京白銀の北里研究所の一隅、コッホ神社で、師匠コッホと共に私たちを温かく見守ってくれている。現在の世界の窮状に対して、どうか北里先生に助けて頂きたく思う。
(板東浩、医学博士、ピアニスト、https://www.pianomed.org/ )
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