近年、音楽を医療に活用して健康に寄与する音楽 療法が注目されている。年末に、日本音楽医療研究会第12回学術集会が京都大学で開催され、参加させて頂いた。かつて東京女子医大の岩田誠教授と呉東進先生(現京都大学教授)が設立され、以前に徳島でも大
会を行ったことがある。今回のテーマは「子どもの発達と音楽療法」で、とても意欲的な講演や発表であった。
その中でも特にお洒落な企画が⁉ ランチコン サートでカルテットの演奏があり、岩田先生など4名の医師が担当。モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」に続き、呉教授の指揮でベートーヴェンの「喜びの歌」をみんなで合唱
(♪)。とても清々しい企画だった。
◆聴覚が 刺激高める 脳機能
今回の特別講演は「重症児と音楽療法」 について、 富和清隆先生(東大寺福祉療育病院院長)が、聴覚と脳の機能も含めて話された。東大寺の福祉療育病院のルーツは、1200年余前の光明皇后に至る。皇族でない藤原氏から皇后となった最初の女性で、病人のために「施薬院」、身寄りのない人に「悲田院」を設立した。
施薬院・悲田院は朝廷の公の施設で、奈良朝より平安朝に至るまで救療施設の中心として活動し,朝廷は度々資材を施入して拡充し,貧飢の病者に施薬・収容して救療した。夫の聖武天皇が全国国分寺の総本山 として東大寺と大仏を建て、光明皇后が国分尼寺の総本山として法華寺を建立したのである。
◆仏法で 人々救う 光明子
光明皇后は仏法を篤く信仰し、50巻に余る経典を書写された。中でも、光明皇后の施浴伝説が知られてきた。「浴室を建てて人々を洗い流せば、その功(いさお)はいい尽くしがたい」という仏のお告げが。そこで、法華寺に作った「からふろ」(蒸気風呂)で、千人の民の汚れを拭うという願を立てることにした。999人目までは順調に進んだが、千人目は皮膚から膿を出す患者であったと云われ、意を決した皇后が病人の膿を口で吸い出すと、たちまち光り輝く如来の姿に変わったと伝えられている。
光明皇后は、都大路に並木を植える際にも、貧者の非常食となるようにとモモとナシの木を植えさせたという。光明皇后はその光り輝く美しさから「光明子」とも呼ばれていて、御姿が法華寺の本尊である「十一面観音」とされている。優しく麗しい皇后の御心は、相手の立場を思いやる「おもてなし」として日本人に脈々と受け継がれて来たのかもしれない。
(板東浩、医学博士、ピアニスト、https://www.pianomed.org/ )
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