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中央テレビ編集 


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美術館からのエッセイ

◆ 特集 河井清一と明治期・徳島の若者文化
 県立近代美術館では、「徳島のコレクション2019年度 第2期」の一環として、「特集 河井清一と明治期徳島の若者文化」を開催します(7月13日[土]~9月8日[日])。  
 河井清一(1891-1979年)といっても、徳島生まれの伊原宇三郎や三宅克己と違って、ご存じの方は多くないと思います。生まれたのは奈良県。裁判官だった父親の転勤に従って明治30年代半ばに徳島市に移り住み、旧制徳島中学校(現県立城南高等学校)を卒業しました。旧制中学の5年間に、徳島の街で河井は3つのことと出会っています。  
 一つは洋画です。まだ洋画を描く人が数少なかった時代に、中学校の美術教師の感化をうけて、洋画にのめり込んでいきました。もう一つはキリスト教。当時、徳島市通町にあった教会にはアメリカ人宣教師が滞在していて、熱心な布教活動をおこなっていました。河井は英語を教わるため宣教師のもとに通い、中学時代に洗礼を受けています。そして3つめは野球。徳島で野球が始まったのは1897(明治30)年、旧制徳島中学校の体育教師が野球部を作ったのが最初とされます。河井が入学した頃は、ようやく旧制脇町中学(現県立脇町高校)や旧制富岡中学(現県立富岡西高校)にも野球部が誕生し、交流試合が始まっていました。河井は徳島における中等野球草創期の選手でした。
 洋画、キリスト教そして野球。いずれも明治の若者にとっては、西洋の息吹を感じる新しい時代の文化でした。
 その後、河井は上京して東京美術学校(現東京藝術大学)で洋画を学び、美術学校卒業後は帝国美術院展や文部省美術展、日本美術展などにキリスト教信仰に裏づけられた作品を発表しました。野球はさておき、徳島の街で出会った洋画とキリスト教は、河井の生涯を決定づけたといえるでしょう。明治後期の徳島の若者文化が生んだ画家でした。


旧制徳島中学校野球部ユニフォーム姿の河井 上段右が河井

◆ 河井清一 《女》 1917年 第5回光風会展
 モデルは結婚まもない頃の河井夫人です。河井が結婚したのは、まだ美術学校に在学中のことでした。夫人は美術学校に隣接していた東京音楽学校の学生で、音楽学校や美術学校の男子学生の間で評判の女子学生でした。  
 河井夫人について、池田諒氏が次のように記しています。
 (音楽学校の女子学生)の中でも彼女はひときわ目立ったらしい。ただ美人だと言うのではなく、胸高に履いたハカマの裾を揺らしながら、さっさっと活溌に歩くその姿がとても魅力的だったので、音楽学校の男子生徒ばかりでなく美術学校の生徒のあいだでも”憧れの君”でとおっていました。(池田諒『原勝四郎のフランス放浪日記』田辺市立美術館 2007年)  
 明るく華やかな画面からは、”憧れの君”を射止めた河井の喜びと、二人の気持ちがしっかりと寄り添っている様子が伝わってくるかのようです。



◆ 河井清一《休み日》 1928年 第9回帝国美術院展特選
 鮮やかな色彩を丹念に積み重ね、夏の明るい日射しを描いています。ベランダでテーブルを囲むのは河井の妻子。絵の中に河井自身の姿はありませんが、画面のこちら側でイーゼルを立てているのでしょう。第9回帝国美術院展で特選を受賞しました。  
 キリスト教に無縁な人が観ると、何げない家族の情景と見過ごしてしまいそうです。しかしキリスト教関係者によると、キリスト教徒の理想を描いた作品でないかといいます。休み日とは安息日(日曜日)のこと。安息日の午前中は教会で祈りを捧げ、午後は家族で会話を楽しみながら静かに過ごすのがキリスト教徒の理想だといいます。敬虔なキリスト教徒であった河井が、自らの信仰を絵にした作品といえそうです。



◆ 河井清一《T嬢の像》1946年 第1回日本美術展特選
 第二次世界大戦が終わった約半年後、1946(昭和21)年3月に開かれた第1回日本美術展で特選を受賞しました。髪を結った若い女性が、振袖をまとって穏やかに微笑んでいます。現在の私たちがみると、何ということもない絵です。しかし、当時はおよそ時代離れした作品でした。  
 戦争中東京は繰り返し空襲を受け、一面の焼け野が原となりました。戦後の復興が始まるのはまだ何年も先で、会場の東京都美術館を一歩出ると、一面の焼け跡と闇市が広がっていました。ようやく訪れた平和を喜んだのもつかの間、日本人は生きることに精一杯の毎日でした。モデルになった女性も、半年前までは軍需工場に徴用され、油まみれになって働いていました。  
 日本人は本当はこんな平和な生活がしたかった、河井のそのような思いが感じられる絵です。展覧会来場者に深い感銘を与え、多くの人がこの作品の前に立ちすくんでいたといいます。



◆ 河井とルノアール
 河井にとってルノアール(Pierre-Auguste Renoir 1841-1919年)は大切な画家でした。1932(昭和7)年にパリを訪れたとき、少なくとも2点の作品を模写しています。また、手元には、晩年までルノアール作品の図版を入れた小さな額を飾っていました。  
 河井の《休み日》(1928年)にみる光と影の表現は、ルノアールの《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》に通じるものがありそうです。結婚して間もない妻を描いた 《女》 (1917年)は、ルノアールが描いた一連の華やかで官能的な女性像を意識していたのかもしれません。河井が理想とする表現は、ルノアールにあったのでしょう。


模写中のルノアール《ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会》 1932年9月、ルーブル美術館 中央はオリジナル作品、左が制作中の模写。
                                                            江川佳秀(主席)

徳島県立近代美術館 7月の催し物
[展覧会]

○文化の森総合公園開園プレ30周年 徳島新聞創刊75周年記念

 美人画の雪月花-四季と暮らし 培広庵コレクションを中心に

 720()91()

○所蔵作品展 徳島のコレクション2019年度 第1

 特集 新収蔵作品を中心に

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○所蔵作品展 徳島のコレクション2019年度 第2期(前半)

 特集 河井清一と明治期・徳島の若者文化

 713[]98[]

 

[美人画の雪月花-四季と暮らし関連イベント]

○学芸員の見どころ解説

 721()14時~15

○スペシャルトーク 北野恒富の〈阿波踊〉をめぐって

 講師:小川裕久(徳島市立徳島城博物館係長)

 727()14時~1530

○消しゴムはんこ体験講座 きものの文様でオリジナルコースターを作ろう

 講師:消っしーほりえ(消しゴムはんこ作家)

 728()午前の部:1030分~  午後の部:1330分~

○ワークスペース ぬりえであそぼう きものの文様

 720()91()

 

[所蔵作品展関連イベント]

○こども鑑賞クラブ 新しいコレクション

 76()14時~1445

○展示解説  河井清一と明治期・徳島の若者文化

 714()14時~1445

 

[その他のイベント]

○美術館で宿題そうだん会

 725()726()13時~1630