中央テレビ編集 << 先月のコラムへ トップへ >> 次月のコラムへ 美術館からのエッセイ 所蔵作品展 徳島のコレクション 2018年度第1期 特別展示 生誕130年 静かなる叙情 清原重以知 戦前、戦後の洋画の世界に重要な足跡を残した 清原 ( きよはら ) 重以知 ( しげいち ) 。戦後は徳島県美術家協会の名誉会員でもありました。しかし現在では、名前を知る人も多くないと思います。そこで県立近代美術館では、生誕130年を期に、清原の画業をご紹介する展覧会を開いています。 実は23年前の1995年4月にも、大規模な回顧展「徳島の作家 清原重以知」を開催したことがあります。ですから2度目の展覧会であり、前回と比べるとコンパクトな展示です。しかし、それだけに出品作品を厳選し、清原の魅力を的確にご紹介できる展示にできたと思います。前回の展覧会が終わった後、新たに発見された作品もあります。清原の世界を存分に味わっていただけたらと思います。 清原が生まれたのは1888(明治21)年、生家は現在の阿南市下大野町にありました。本名は重一。旧制徳島県立富岡中学校(現、徳島県立富岡西高校)を経て、東京美術学校西洋画科(現、東京藝術大学美術学部絵画科)に学びました。在学中から白馬会展に入選し、卒業後は光風会展や帝国美術院展、文部省美術展覧会などに出品しました。1931(昭和6)年光風会会員となり、帝国美術院展では1937(昭和12)年第1回展から無鑑査の処遇を受けました。戦後は1952(昭和27)年から日展に出品し、翌年から無鑑査となっています。徳島を代表する洋画家の一人です。1971(昭和46)年東京で没。享年83歳。 アトリエの清原 モデルは妻芳子 1930年頃 清原が画家として生きた時代は、ヨーロッパから次々と新しい美術思潮がもたらされ、日本の洋画界がめまぐるしく移り変わった時代です。また、1940(昭和15)年頃からは文化の統制が急速に進み、画家たちは戦争の時代にふさわしい絵を描くことを求められました。清原の作品にも、時代、時代の美術界の雰囲気が滲んでいます。 もっとも清原は、美術界の流行を追いかけ、画壇の最前線で脚光を浴びるような画家ではありませんでした。時代の雰囲気を敏感に察知しながらも、一歩遅れて、自分の中で咀嚼し、本当に自らのものとしたものだけを絵にする画家でした。 また、洋画家ではありましたが、西洋絵画と同じくらい深い関心を払っていたのは、伝統的な東洋絵画でなかったかと考えられます。これは日本の洋画家にとっては避けられない問題で、多くの洋画家が東洋絵画の影響を受けた作品を制作していますが、その中でも清原が第二次世界大戦中に描いた<知命図>(1940年)などは、静謐で深遠な東洋の精神世界に通じる作品となっていて、西洋からの借り物ではない日本洋画の到達点の一つといえそうです。 <ロシヤの女優>1916年 油彩 キャンバス 日本に滞在していたロシア人女優をモデルに、装飾的で色彩豊かな画面にまとめています。穏やかな色調ですが、大胆な筆跡と色づかいは、その頃フランスから日本にもたらされ、美術界の流行となり始めていたフォヴィスム(野獣派)を意識していたと思われます。清原も若い頃は、美術界の流行を強く意識していたのでしょう。 ちなみにロシアとは、当時の日本人にとって一番身近な西洋世界であり、洋画を志す若者たちには、あこがれの地ヨーロッパを感じることができる場所でした。この時代の日本の洋画家は、清原の他に何人もがロシア人をモデルに作品を描いています。 <夏の女>1928年 油彩 キャンバス モデルは妻の芳子です。白と褐色を基調とし、帯の黒と帯紐の青が画面を引き締めています。大きな筆跡は、どこか東洋画の毛筆の筆致を思わせます。第9回帝国美術院展に出品し、特選こそ逃しましたが、美術界の高い評価を集めました。当時の美術雑誌に掲載された展覧会評は、「選外秀逸の格」としています(春山武松「洋画総評」『みづゑ』1928年11月号)。 <知命図>1940年 油彩 キャンバス 正装し、威儀を正す自画像です。タイトルの「知命」とは天命を知るということなのか、あるいは自らの命運を知るということなのか。いずれにせよ何かを悟り、居ずまいを正すという意味なのでしょう。 この作品が描かれた1940(昭和15)年、日本軍が展開する中国戦線は泥沼化し、翌年には日米開戦が迫っていました。日本社会は戦争一色に染まり、若い男性は戦場に駆り出され、美術の世界でも「戦争記録画」が大きな流れになっていました。 この作品を描いた時、清原は52歳。もう兵士として戦場に駆り出される歳ではありません。また、清原が正面切った戦争記録画を描くこともありませんでした。しかしそれだけに、戦争の時代を生きる清原の覚悟のようなものが伝わってくる作品です。 <酔生>1958年 油彩 キャンバス 次男の淳二を描いています。淳二は父親の制作風景を身近に見て育ち、洋画家を志しました。旺玄会展で受賞を重ね、旺玄会の会員、常任委員となりました。 寡黙な清原と違って淳二は快活な人柄で、パレットナイフを多用して力強い絵を描きました。清原と淳二はアトリエを共用し、イーゼルを並べて絵を描いていたため、戦後の一時期、清原はこの作品のように息子の影響を受けていたのでないかと思われます。 <菜の花>1970年 油彩 キャンバス 亡くなる前年の作品です。一面に咲き乱れる菜の花を描いています。年老いて外出もままならない清原のために、次男の妻黎子氏は近所の花屋をまわって菜の花を買い集め、アトリエに並べたバケツに活けたといいます。長男の妻喜枝子氏は、実家があった阿南市下大野の風景を思い浮かべて描いたと清原から聞かされたといいます。 (江川佳秀(徳島県立近代美術館 副館長)) 徳島県立近代美術館 5月の催し物 [展覧会] ・特別陳列 生誕130年 清原重以知-静かなる叙情 開催中~6月17日(日)まで ・所蔵作品展 徳島のコレクション2018年度 第1期 特集 新収蔵作品を中心に 開催中~7月1日(日)まで [特別陳列 生誕130年 清原重以知-静かなる叙情の関連イベント] ・展示解説5月20日(日)、5月27日(日) いずれも午後2時~2時45分 ・こども鑑賞クラブ 清原重以知さんの世界 6月9日(土)午後2時~2時45分 [所蔵作品展の関連イベント] ・展示解説5月3日(木・祝) 午後2時~2時45分 [その他のイベント] ・文化の森 こどもの日フェスティバル 5月5日(土・祝)午前9時30分~午後4時 ミニ解説 午前11時30分~、午後1時30分~、午後2時~、3時~ (展示室1,2 各20分) アートの広場 こどもから大人まで楽しめる催しをご用意してお待ちしています。