夢の彼方に…

2000.7.20


「誰だ?…」

元闇の守護聖クラヴィスは、微かな気配に振り向いた。

「どうした…。何故ここに…」

めずらしく狼狽の色を見せたクラヴィスの視線の先には、
現女王アンジェリークがひっそりと佇んでいた。



今を去ること1年ほど前、クラヴィスは、自分の力の異変に気付いた。
僅かだが、弱まってゆく、サクリア…
時を同じくしてその僅かな異変に気付いたのは、女王アンジェリークだった。
やがて、他の守護聖達も知ることとなり、
次期闇の守護聖の選出、交代のための引き継ぎと…めまぐるしく時間は過ぎ去っていった。
そして今日、聖地を去ることの報告と別れを告げるための女王への謁見、
他の守護聖達との別れの公式行事を終えて、
今、自室でやっと人心地つこうとしているところであった。



「…アン…陛下、何か…?」

何故、今ここに、アンジェリークが尋ねてきたのか、と言う事実に戸惑いながら、
クラヴィスはアンジェリークの方へ歩み寄った。

「アンジェリークでいいの…陛下とは呼ばないで…」

アンジェリークは白い軽装のローブの胸元で、組んだ指を振るわせながらそう呟いた。

「公式の行事は全て終わりました。
 そして、私は女王として、貴方に何も望むことが出来ない事も知っています。」


クラヴィスを見つめる大きな翠の瞳が潤んでいた。

「明日、ここを出ていかれるのですね。これから…どちらに行かれるんですか?」

消え入りそうな声で、アンジェリークはそう言った。

「何処に…?と言っても仕方がなかろう…。所詮、私は流浪の民なのだから…な。」

クラヴィスは何事もなかったかのように、そう言いながら、ソファーに座るように促すと、
彼女は小さく頷いて勧められるまま腰掛けた。

「…ここに来たのは女王としてではなく、
 ただのアンジェリークとしてひとことだけ貴方に言い残した事があったから…」


小刻みに震える細い肩…支えてやらねば倒れてしまいそうだ…と、
クラヴィスは思いながらアンジェリークを見つめていた。

「………?」

「ずっと…お慕い申し上げていました。クラヴィス様。」

思いつめたような瞳でクラヴィスを見つめながらアンジェリークはそう言った。

「陛下…」

「お願い、陛下とは呼ばないで…
 私の立場とか、これからの事とか、今、貴方にお会いするのがどういう意味なのか、
 色々考えて、全て承知の上でここに来たんです。
 ただ…この想いを抱えたまま、女王であり続ける自信はないという事がわかったから…」


アンジェリークは視線を下に落としてそう言った。
膝の上に重ねられた手は、指が白くなるほど握り締められていた。

「あの日…女王試験の最終日…
 私にもう少し勇気があれば、 もっと早くこの気持ちを貴方に伝える事が出来たのに…」


フルフルと頭を振るしぐさが、とても痛々しく、そして可愛らしいと思いながら、
クラヴィスは黙って聞いていた。

「いつまでも、ずっとこのまま聖地でいられるのだと思っていました。
 まさか、クラヴィス様が先にこの地を去る事になるなんて、考えてもいませんでした。
 だから、この気持ちを打ち明けることなく女王になって、
 そして時々貴方を見つめているだけで幸せでした。」


「アンジェリーク…もう、言わなくてもいい…何も」

クラヴィスは、アンジェリークの頬を流れる涙を指で拭いながら彼女の言葉をさえぎると、

「もう…泣かないでくれ…
 私はお前の笑顔に、随分、救われたのだぞ。今まで…
 ……すまない。泣かせたのは、私だな…」


懇願するような、とても優しい口調でそう囁いた。

「隣に座ってもいいか?」

クラヴィスはそう言いながら、アンジェリークの傍らに腰掛けた。
そして彼女の、春の陽だまりのような金の髪を一房もてあそびながら、

「この金の髪の乙女は最期まで私を惑わすのだな…アンジェリーク…」

極上の笑顔でそう言うと、その一房の髪にそっとくちづける…
愛しむような、優しいアメジストの瞳がアンジェリークを見つめ続けている。

「クラヴィス様!」

アンジェリークは耐えきれず、思わずその広い大きな胸の中に顔を埋め、声を殺して泣いた。
クラヴィスは彼女を抱き止め、その金の髪をなでながら天井を見上げて溜息をついた。

「…このまま…
 このまま、お前をさらっていく事が出来たなら………
 いや、もう何も言うまい。今こうしてお前がここにいるのだからな。アンジェリーク…」


「クラヴィス様?」

アンジェリークはクラヴィスの言葉に驚き、戸惑い、そして頬を染めてクラヴィスの顔を見上げた。

「神よ…罪はただ、私の身の上にだけ降るがよい!
 今だけは…ただ、ひとときの夢だけでいい…」


クラヴィスはそう言って、アンジェリークを引き寄せ、そのに唇にそっとくちづけた。
めくるめく甘い感情の渦に身を任せながら、
このまま時間が止まって欲しいとアンジェリークは無理を承知で願わずにはいられなかった。
アンジェリークの瞳からは涙が溢れていた。それは後悔の涙ではなかった。



   

朝靄もまだ残る早朝、アンジェリークは自室の窓から、
去り行くひとつの人影を見送っていた。
どれほど離れていようとも、彼女にはわかっていた。
その影が、長身の艶やかな黒髪を長く伸ばした、
穏やかでとても優しい瞳を持った青年である事を…。

昨夜の、あの短い逢瀬が、この宇宙にどのような影響をもたらすのかは、彼女自身知る由もない。
しかし、彼女には迷いはなかった、自分に正直である事を選んだその時から。

今までとは違う装いで、もう二度と帰る事のない旅立ち…
何もかも捨ててついて行きたいという想いは否定できない。
しかしそれは、許されない事と知りすぎていた、二人だった…

「これが永遠の別離になるのかしら。
 彼を愛した事に後悔のかけらもないわ…」


小さくなって行く影が、涙で霞みそうになるのをこらえながら、
この想いを抱いたまま生きていけると、彼女は確信していた。

これは、別離などではない…

そう思った時、その青年が、ただ一度こちらを振り向いたように見えた。

「クラヴィス様…
 私は、貴方が何処にいようとも、いつも貴方の幸せを祈っています。」


                                    〜END〜                


書きたい…ただその思いだけで走り書きのように書いてしまいました。
ただ一言のセリフのために書いた作品です。私の自己満足のために書いた作品です。
この話は、多分、これだけ独立してしまうお話です。パラレルワールドのアンジェリークだと思ってください。
塩沢さんのクラヴィス様とのお別れのお話なんです。私にとって…
(しかし、塩沢さんにセリフが少ないって言われそうだなぁ…)

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