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Vol.21 焼き物の古色について
私達業者が伊万里の商品を仕入れる際、数百年のほこりとよごれが器に付いている状態で買う事が多いのですが、ほこりなどは水で洗えば直ぐに落ちます。
 しかし、器事態にしみ付いている古色はすすぐだけでは落ちません。私は、よくキッチンハイターにつけて、よごれをとりますが、伊万里の場合綺麗によごれがおちてできた当時そのままの状態になります。
 お客様によっては、古いものだから使える範囲であれば少々古色がついている方が良いという人もいますが、皆さんはどうですか?
 最近は修理をしているものもあるので仕入れをした時にすでに漂白しているものは、もう一度漂白するようにしています。それによって修理を見つけることが出来るからです。ですから結局は綺麗なものも汚れているものも漂白することになるのですが、最近は、表が綺麗ならばハイターにつけず、古色を残す場合もあります。
 皆さんもお気に入りのものを購入した場合古色がついていて気になる場合はバケツにキャップ1〜2杯で十分ですので、汚れをとってみて下さい。
 染付はもちろん錦手の器も大丈夫です。
 しかし、伊万里に限ってです。青手の九谷や薩摩などは漂白しない方が良いですよ。
Vol.22 伊万里の相場って??? 
 皆さんが伊万里を買うに際して一番気になるのは、やはり金額だと思います。伊万里には基本的な相場があるのでしょうか?それは、古い物ゆえに、現在作られている商品のように定価というものが無いのは、皆さんもご存知の通りです。
 私達業者の中では、とりあえず基本的な相場は有りますが、一律ではありません。それぞれ個人的に相場は違っています。
 その相場は、何処でどのように決まってくるのでしょうか?時代、商品の大きさ(決して大きいから高いという意味ではありません)、形、コンディションと色々要素はあります。一昔前までは、染付に対して、色絵の方が高かったですが、現在は特殊なものを除いて、染付の方が価格が先行しているようです。また、食器系に限ってですが、時代が古いから高い、時代が幕末だから安い、と言うことが無くなって来た面もあります。図柄によっては、幕末のお皿が古伊万里のお皿と同等の値段、或いはそれ以上値で売れる場合があります。それと、豆皿とかの小物類も、他のものと比べると相場が高いようです。結局は、そういうものを求めるお買い手の方が多いから、そういった相場になるのですが、皆さんは、そう言った流行を選びますか?私からはなんとも言えませんが、それを選ぶのは、皆さん自身です。やはり、自分自身の好みを大切にするのが一番だと思います。
Vol.23 大皿について
 今回は、大皿について、少しお話したいと思います。
 最近は、大皿と言えば、飾りに使うのを主に購入される方が多い様です。が、元々は飾りではなく、使い用に作られたものが多い(輸出用は除く)です。尺五(45cm位)以上になれば、現在使うのは、少し難しいかもしれません。しかし、尺〜尺四位でしたら、今でも、家族で料理を囲む時、お客様が来る時、或いは、ホームパーティーで友人と囲む時等々、色々活躍の場は有るように思います。
 四国方面、特に、高知などは、皿鉢料理が有名で、実際、大皿の半分くらいの数が、今までに高知から出たと言っても過言ではありません。言うまでも無く、私たち家族が住んでいる徳島でも、画像のように料理を大皿に盛りつけ、皿鉢料理として、大皿はよく使います。皆さんの住んでいる方面はどうですか?
 私の家では、子供の”百日の食い初め””初節句”など、記念行事で親戚が集まる時など、家内が皿鉢料理を作って食べてもらいました。通常、仕出し屋さんや料理屋さんなどに作ってもって、御膳や皿鉢を出すのですが、一番最初の娘の”食い初め”の時には作ってもらいましたが、、それ以降は御寿司だけ作ってらって、後は家で作るようにしています。慣れると、かなり素早く作っていますよ。
 寿司桶にしても、今使われているような塗り物(殆どのお店がプラスティックですが)が、登場したのは関東大震災以降と聞いた事があります。江戸期には、やはり殆どが焼き物を使っていたのですが、震災時に割れてしまったのを機に割れにくい塗り物を使うようになったらしいです。今大皿を持っている方で飾っている方、または飾る目的で探している方、使う事も考えてみては如何でしょうか?そうしたら、同じ大皿でも、ある意味、広い範囲で探せると思います。
Vol.24 こんな掘り出し物
 今月の伊万里については商品についてではなく、こんな掘り出し物という事でお話します。
 今から、10年少々前の話ですが、ある2人の若い業者が4泊5日位で旅にでました。いつもなら金額の大小に関わらず、色々な伊万里が買えるのに、その時に限って何も買えませんでした。4泊して最終日、そお2人は車の中でこの旅は大変だななんて、言いながら車を走らせていたらしいです。すると、いつもは気にもかけない2尺の大皿ばかり置いてある店に気付き、入ってみることにしました。入ってすぐに、げんなりする2人。そう新物ばかり置いてあったお店だったのです。そのお店のご主人は、その2人の若者にあれやこれやと新物を勧めまくりです。2人が顔を向け合い退散しようとしたその時、店の入り口の片隅に無造作に転がっている染付が目に入りました。さて、その染付とは・・・・・。今月はここまで。来月をお楽しみに。
Vol.25 前回の続き
 さて、今回は前回の続きです。2人が店内を見渡すと、新物の大皿ばかり。そこのご主人はしつこく、その大皿をすすめます。いい加減に、嫌気がさしてきて、出て行こうと思った瞬間、店の隅に転がる壷が一つ目にとまりました。遠めに見ても、すぐわかる、盛期の伊万里です。どうしてこんな所に転がっているのだろうと、不思議に思いながら、冷静に「その壷いくらですか?」と尋ねると、そこのご主人は、「そんなもの買ってどうするの?」という感じで、その壷を完全に馬鹿にしていました。すると2人の内の一人が、大皿よりも壷が好きだからと言いました。すると、ご主人が、「そう、じゃあ○万円でいいよ。」と言いました。傷があるか無いか確かめたい気持ちはいっぱいでしたが、そんなこともせず、適当に新聞に包み車の中へ・・・。ふたは有りませんでしたが、無傷の完全な藍柿でした。未だにその新物ばかり置いている店に、その壷がどうしてあったのかは、不思議でならないらしいです。残念ながら、知人の話で詳しい事はそれ以上はわからないのですが、世の中にはこんな事も稀にあるのも事実です。
Vol.26 初心忘るるべからず
 日本で、初めて作られた磁器とは、ご存知の通り、皆さんが大好きな伊万里焼です。初期伊万里などは、350年以上前に作られたものです。とりあえず、美術・骨董品として扱われるものの中でも、50年以上前のものと言えると思います。
 私たち、人の命は長くても80年少々、その中で活発に社会に貢献できるのは、せいぜい50年から60年です。しかし、古伊万里は何百年という空間を生き続けて、私達の目の前に現れてくれます。考えてみれば、その接点と言うのは、とてもすばらしい事です。
 そして、それを扱う商いに就けた私は、又、とても幸せ者と思います。
 また、日本が世界に誇る美術品に興味を持ちコレクションしている、皆様も同様にすばらしい、幸せな方々だと思います。
 いつも思うことは、初めて手にした喜びをわすれないように、これからも、精進して大事にして行こうと思う、今日この頃です。
 やはり、初心忘るるべからずですね。

Vol.27 古伊万里を買った時のお話

 今回は染錦手の古伊万里を買った時のお話です。長い間、商いをしていると色々なエピソードがありました。今回はその一つをお話します。
 皆さん、黒の釉薬を使っている染錦の古伊万里は元禄の時代だと聞いた事はありませんか?確かに、それは一理はあるのですが、その黒の釉薬に関しての話題をしてみます。
 ある時、業者間でも、その黒の釉薬のことが話題になり、ある日、尺二寸位のお皿を買いました。見込みが花篭で、比較手によくあるお皿なのですが、その花篭の横に欄干を書いていました。そこに黒い釉薬が使ってあったのです。
 オークションでしたので、傷の有無を確かめ、そのお皿を仕入れました。家に帰って、仕入れたそのお皿を手に取って、汚れていたので、濡れタオルでふきました。その時、ふと気付いたのです。なんと、その黒いのは、油性のマジックで塗りつぶしていたのです。やれやれという感じでした。シンナーを使ってそれを取りました。黒の釉薬の話でもちきりだったので、出品していた人が、わざわざマジックを使って後絵付け(?)をしていたのです。
 しかし、油性のマジックで黒色を付けたとは、脱帽してしまいました。ちゃんちゃん。

Vol.28 後絵付けについて

今回は、後絵付けについて少しお話したいと思います。後絵付けはとは、白磁または染付に作られた器に後年になんらかの理由で絵付けを施したものを指します。
 後絵付けをした時期については大体江戸後期に絵付けされたものが多く、中には宝歴より少し古い時代にされたものもあります。
後期にされた絵付けは大聖寺でされたものが多いのが特徴です。
 その理由については色々とあると思いますが、ひとつは当時色のついているものに人気があったということがあげられます。特に幕末には外国の文化が急速に入ってくる気配があった為に白磁または染付の器に色を施したのでしょう。しかし、色んな器のある中で特に柿右衛門の種類の器に後絵付けが多いようです。当時より柿右衛門は相当に人気があったらしく白磁を色絵に染付を染錦手に絵付けしたものをよく見かけます。
 見抜き方の例として、色絵の場合は釉薬も違いますし、元々白磁にできた器はそれ用の器の形になっていますので、どうしても図柄の位置関係が変になります。染付に絵付けした場合は完成された、図柄の中に無理やり絵付けする訳ですから、やはり図柄の位置関係がおかしくなります。後期の大聖寺で出来たものなどは絵付けも上手にされていますが、やはり釉薬が違いますし、絵の書き方も古いものとは違ってきます。
 コレクターに限らず、業者も後絵付けには悩まされますが、それも伊万里が歩んできた歴史の中の一部です。また、逆に染錦の商品として作られていた器が何故か絵付けをされずに未完成のままで染付の器として世に出ている事も多々あります。
 これからも、そういう器に出会う事は多々あると思いますが、皆さんがんばって見極めて下さいね。
Vol.29 古伊万里のすべて展
 先月、高松で「古伊万里のすべて展」という展覧会に行ってきました。今回のこの古伊万里という意味は、私達業者が「古伊万里」と呼ぶ器とは異なり、江戸時代のもの、すなわち初期から後期までの伊万里をすべて含めて、古伊万里という意味で、「古伊万里」という言葉を使っていたようです。
 時代の変化で、幕末の時代のものでも、一般的にそういう風に呼ばれ出しましたね。幕末の古伊万里?という感じで、私にとっては違和感があるのは否めません。
 さて、展示の中身ですが、確かに「すべて〜」というだけあって、その時代時代で特徴のあるもの、説明しやすいもの、形の変わったもの等々、色々あって、伊万里の変遷を知るには良かったのではないかと思います。個人の方が所蔵している品も多々あったようですね。私自身は五十三次の大皿がとても印象に残っています。あの大きさは中々有りません。読者の皆様も見に行かれた方が多いと(全国を回っていたみたいなので)思いますが、勉強になったと思います。展示目録も2000円ですべてカラーで、値打ちのある本でした。
 また、今回のような機会があれば、行きたいと思っています。
Vol.30 初期伊万里と藍九谷(前期伊万里
  読者の皆様より、よくある質問の一つとして、初期伊万里と藍九谷(前期伊万里)の区切りについて、よく質問されましtたので、その事について少しお喋りしたいと思います。
 まず、初期伊万里の場合は、寛永前後から焼かれたものですが、皿の場合、初期伊万里の前期から中期にかけて高台の径は皿の直径に対して約3分の1のものが多く、
絵の書き方も自由に(悪く言えば簡略的)に描かれています。生がけですので、生地は分厚く中期あたりのお皿から比べると重みを感じます。壷類なども高台の大きさは別として、そのつくりとか生がけの感じは基本的に同じです。
 初期の中期から後期にかけては同じ生がけですが、生地が少し薄く出来るようになってきます。高台も自然に大きくなり3分の1が2分の1位になります。絵の書き方もより細かくなり絵画的には上手になってきます。
 中期から後期になると私の父などは昔すでに藍九谷(前期伊万里)と呼んでいましたが、今現在は、初期伊万里後期のタイプたか言うようになっています。

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