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Vol.11 時代判別のポイント

 最近、商品の時代の判別方法の質問のMailが多数寄せられていますので、簡単に大まかなポイントを説明致します。
本当に、大まかなポイントだけですが、少しはお役に立つかもしれません。
 まず、裏の唐草の模様の書き方、図柄で言うと、特定の唐草系の場合においては、その書き方によって時代が解ります。
伊万里の場合は、同じような図柄を、時代をおって、繰り返し作られているので、同じ図でも、並べてみると、時代によっての違いがわかります。
 初期伊万里とか、藍九谷、藍柿などは、意外と解り易いかも知れませんが、宝歴〜文政くらいまでの商品が一番判断しづらいと思います。
 時代判別がある程度できるようになるためには、頭では無く、感覚で解っていく方が、良いと思います。
その為には、品物を購入するしないは関係なく、多くの商品に触れ、正しい知識を与えてくれる人(業者さんや専門家の方)から、その商品に対しての説明を聞く事が、一番の近道だと思います。

Vol.12 1999年を振返って

新年明けましておめでとうございます。
 HPを開いて、はや一年と少々経ちますが、この間に、たくさんのお客様と知り合えて、大変嬉しく思います。
 当初、HPを開設するにあたって、Net上での売買が成立するのかどうか、大変不安に思っておりましたが、実際、Netを通して美術品に興味のある方が、こんなにたくさんおられるとは、夢にも思っておりませんでした。
 HPを開設する以前は、お店に来店してくださる方しか、商品を見て頂けませんでしたが、当店の商品を日本全国の方に見ていただけるのは、大変光栄に思っております。
 去年一年を通して、HPを見てくださった方々、および応援してくださった皆様に、感謝致します。
 そして、本年も、名品・珍品、お手ごろ商品、いろいろ紹介して行きますので、宜しくお願い致します。
Vol.13 古伊万里と古伊万里?
お客様からの質問に、「古伊万里って、どれ位の時代のものまで、言うのですか?」というような言葉を、よく聞きます。が、業者によって、その答えは、さまざまだと思います。
 基本的には、考え方は二通りあります。。
 古伊万里と云う言葉は、元々、元禄期の、主に染錦手の焼き物を指す言葉でした。国内、国外向けの両方の品に対して使われるのですが、そういう意味においては、古伊万里とは、元禄期を中心とした享保くらいまでの時代のものとなります。
 また、その一方では、昔は元禄〜享保の品を古伊万里と云っていましたが、最近は天保位までなら、古伊万里ですよと云う答えも、よく耳にします。
 これは、人それぞれの考え方によって使い方が異なってくるということです。
 幕末でも、今から考えますと、もう既に100年も以上前なのですから、その当時の品は、古い伊万里なのです。そういう意味においては、幕末のものでも、古い伊万里と言う意味で古伊万里と言っても、それはそれで正解なのです。
 しかし、商品の本質からいうと、元禄〜享保の品が古伊万里であって、それ以外はまったく違うわけです。
 ですから、お店などで、「これは古伊万里ですか?」とか「古伊万里の商品ありますか?」と言うと、お店の方は時代の幅をもって対応するかもしれませんし、そうでないかもしれません。
 そういう場合は、「元禄の時代の商品ありますか?」とか「時代はいつ頃のものですか?」と具体的に聞くほうが、双方の行き違いが無いと思います。
 古伊万里という言葉をどう使うかは、その人次第と言うことです。
 ちなみにこのHPでの古伊万里と言うカテゴリーは前者の意味で別けております。
 皆様が、ご自分で古伊万里の時代の最低ラインを引いてみても、面白いと思いますよ。
 今度、美術関係のお店に立ち寄られた時には、対応してくれた方のご意見等も聞いてみるのも、話の種になるのではないでしょうか?
 では、また来月のネタを考えておきます(なかなか思い浮かばないんですよ。これが。)

Vol.14 キズの修理について

 商品はなんでもそうですが、キズの無いものと有る物に分かれます。
 ホツレ、ニュウなど、大きい物から小さい物まで色々ありますが、キズによっては、修理(直し)ができます。
 金直し、銀直し、とも直しと、色々有りますが、最近とも直しでも、中には、見分けがつかないくらい、精工に無傷に見えるように直してあるのもあります。
 お客様から頼まれて、そういう直しをするのは良いのですが、とも直しの場合、キズの商品を人に気づかれないように、無傷として商いをする手段に使われる事が多いので、極端な話し、プロ同士の取引の中でも多々あります。
 ですから、必ず商品を買う時は無傷かどうか、直しが無いかどうか、相手に確認しましょう。
 中には、持っている業者が気がついていない場合も有りますが、私は、直しをするのだったら、金直しをお薦めします。
 特に猪口等の口を付ける事の多いもので、特にホツレなんかは直した方が良いと思いますよ。

Vol.15 器の裏模様につい 

 器の裏模様は、年代とともに書き方が変わっています。よって、ある程度の年代特定の目安になります。
 初期伊万里は、裏白が多く、裏に模様があっても、割合、あっさりした模様になっています。
 藍九谷の手も、裏白は多いのですが、初期伊万里と比べると、若干手のこんだものになってきます。この頃に、裏の唐草模様なるものが出てきますが、細い線だけで書いているものが多いです。
 唐草タイプの他の模様で、葡萄のつる草模様などが入っている物は、上手の物が多いです。今の言葉で2重唐草が出現するのは、元禄より少々前の延宝くらいからで、初期伊万里の時代から僅か70年少々で、そこまでの技術に達するのは本当に驚きです。
 元禄を中心とした盛期の物は、唐草・山水・花模様と、特にバラエティーに富んでおり、すべてと言っていいほど、上手に書き、手抜きはありません。
 以降の時代は、その2で説明致します。

Vol.16 大聖寺伊万里のおもしろい話

 今回は、急きょ予定を変更しまして、大聖寺伊万里について、私の父から聞いたおもしろい話しをお話します。
 今から、約25年前に父が中心になって、年2回オークションを開いていた時のことです。父の知り合いの業者の方々が、色々な方面からたくさん集まって来て下さり、田舎でする会のわりには、盛況だったらしいです。その何回目かの会の時、父と特にお付き合いの深かった方が、大聖寺伊万里の鉢を持ってきたのです。父は会主ということで、色々お付き合い買いをしておりました。その中の1点にその鉢があったのです。そして、半月ほど店に飾っていると、関東方面から業者が来店し、その鉢の金額を聞いたらしいのです。その時、父は「色々付き合い買いした中の1点で、遠くから、おいでて下さったのですから、私の買った金額で売りますよ。」と言ったらしいです。すると、その業者の方は、「利も付けずにすみません。」と言って持って帰りました。ここまでの話しでしたら、何の問題も無い話しですが、ここからがおもしろい話しに発展して行きます。その関東方面の業者の方が、自分のお店にその鉢を飾っていると、某美術館の館長がやってきて、その鉢を手にとってある言葉を言いました。そのある言葉は?これから先が少し長くなりますので、今月はここまでにして、来月をお楽しみに 。
 話しの結末がどうなるか、皆さん考えてみてくださいね。
 では、この続きは来月に。
Vol.17 大聖寺伊万里のおもしろい話(U
 おまたせしました。先月の続きです。
 さて、その館長さんいわく、「少し前に、うちの館で盗難があり、この鉢はまさしく、うちの品だ。」と、言い出したのです。
 そこの店主は、「これは、大聖寺ですよ。献上古伊万里の鉢ではありません。」と言ったらしいのですが、耳を傾けてもくれません。
 困った店主は、私の父に連絡をとってきました。「茎田さん、実をいうと・・・・・。」
 私の父は、「どうしてそんな話になったの?」と言う感じでした。
 とりあえず、私の父も会に持ってきた業者に連絡をとり、「この前の鉢ね・・・・・」と説明すると、先方も、「そんなバカな話があるか。あの館長、数ヶ月前に、うちの店に来て、その鉢見てますよ。どうして、そんな事を言い出したのか。うちの店では、遠目で見ただけで、何も言わんかったで。」と、いう事でした。
 その間、数日後か、その日のうちかわかりませんが、結局、大聖寺の鉢が献上古伊万里として(館長の思いこみです)、美術館に戻ってしまったのです。その商品が、今もその美術館にあるのかどうかわかりませんが、人の思い込みと言うのは、怖い物です。
 その鉢は、江戸期(幕末)に作られた、上手の品で、現在でもよく見かける大聖寺とは全然違う物だったらしいのですが、扱う人が見ると、100%大聖寺の鉢だったらしいです。
 第一、金額が2〜3ケタ違いますからね!!
 今現在でも、その当時の話を、会に最初に出した方と、たまに話をしている次第です。

Vol.18 器の裏模様〔U〕

 この前、2回にわたって大聖寺伊万里のお話を急きょしました。そのために、遅くなりましたが、器の裏模様のその2として、享保〜宝歴位までの模様の話をします。
 享保あたりの、裏模様ですが、元禄から引き継いだ模様が多いです。が、何の模様にしてもそうですが、少し筆の勢いというか、力強さが無くなります。それに加え、元禄期の手と比べると、若干、生地も少しくもりがちな物が多いように思えます。
 今までの話は、柿右衛門手の事ですが、伊万里だちとなると、生地もねずみがかった色になります。裏模様も、輸出用古伊万里の場合、裏白とか、三方に梅の花模様などが、よく見られます。
 輸出用かどうかは表の図柄で、ある程度判断できますが、錦手に限って言えば、限りなく派手に作られています。
 享保くらいの少し下手っぽい染付の皿を、たまに藍九谷と言って紹介している方がいますが、気をつけて下さい。
 享保以降になると、裏模様の唐草の枝分かれが、だんだん複雑になってきます。やはり、上手の物は、自然と二重書き担っています。
 裏白のものは、このあたりの時代はあまりなく、宝歴あたりの物は、皿・ナマス共に裏唐草よりも、宝尽くしとか、桃の実など、単体の模様が多く使われています。
 柿右衛門と比べると、タイプが違ってきますが、食器として上手の物が多くあります。
Vol.19 宝暦以降幕末までの裏模様
 みなさんもご存知の通り、伊万里の模様は、時代時代で繰り返し同じような、図柄があります。
 裏模様も、同じような事が言え、ある程度のパターンがあります。しかし、時代が下るにつれて、簡略化されるものもあり、又、同じような唐草でも若干違ってきます。
 宝暦以降文化年間くらいまでは、まだ、裏の唐草模様は綺麗に書かれています。しかし、古い手の唐草と比べると、枝分かれが多く、有る意味では派手に見えます。
 寛政を中心とする頃に、突如、器全体を染付(ダミ)で、塗り潰し図柄を白く抜いた器が出現します。おそらく、当時に流行ったタイプなのでしょう。この手は、裏白が多く、仮に何か書いてあっても、一本線で簡単に書いたものが多いようです。
 天保〜幕末になると、裏模様も、二重手でなく筆一本で簡単に書くようになりmす。まれに、みじん唐草などの大皿に、太く二重に書いたものもありますが、そういうお皿は、天保より少し古いと考えた方がよいでしょう。他に地図皿などによく使わている波模様が、この時代にはあります。この模様も、大皿などの一品ものに多いです。いずれにしても、当時に上手の物として作られた物は、裏模様も力強く、上手に書かれています。

Vol.20 輸出用古伊万里について

 現在、伊万里焼は、世界から注目される程有名になり、美術品としても評価が高いと言うことは言うまでもありません。
 しかし、江戸の中期頃には、ヨーロッパ方面に、東インド会社を通じて、たくさんの古伊万里が輸出されていました。当時の人達はすでにこの時から、伊万里の持つ美しさや技術の高さなどを知り、洋風文化の中に伊万里焼を取り入れていきました。もちろん、ある程度の注文(図柄等)もあったようですが、その中でも代表するのが染錦手の古伊万里で、尺八寸〜二尺以上のカブト鉢や沈香壷、ソン式の花生けなど、洋風の広い部屋にもたえ得る大きさで、主に使うのを目的とするのではなく、インテリアとして、つくられました。もちろん、染付もあります。VOCのお皿、壷、フヨウ手の大皿や、ガリポットなど、国内には使われなかった形のものが、たくさん存在しています。考えて見れば、元禄を中心に作られたこの器類は、確かに大きいものが多く、それ以前には初期伊万里とか、藍九谷などには皿で大きくても尺3寸程度で、しかも完全に仕上がっているものは少ないです。そういう意味で考えるとこの輸出用古伊万里は図柄の絵付けはもちろん、大きなものを完璧に仕上げると言った意味でも、最高の技術をもっていたと考えられます。そして、伊万里として世界に誇れるような自信作を輸出し たのだと思います。

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