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Vol.1   伊万里入門
  伊万里焼は、九州の有田方面にて、現在でも焼かれていますが、歴史は古く江戸時代の初めまで、さかのぼります。
 それ以前には、日本の焼き物と言えば、備前焼などに代表される、”うわぐすり”のかかっていない、いわゆる、土色の焼き物だったのです。
 約300年以上前に、朝鮮半島より李三平なる人物が、有田にて、焼き方を教え、それが元で、うわぐすりのかかった磁器がはじめて出来たのです。磁器は、陶器と比べると窯の中でより高い温度で焼く事が出来るので、陶器に比べると、とても強い焼き物になる為、以降、磁器はその当時の食器に欠かせなくなりました。が、やはり、当時でも相当金額は高かったようです。
 初期伊万里〜現在まで色々な焼き物ができますが、それは、また後に書くとして、磁器は江戸初期から幕末までに当時でもブームだったらしく、伊万里だけでは足りなくなり、地方地方で伊万里に類似した焼き物を天保頃より作るようになりました。それが、いわゆる地方窯ですが、伊万里と比べると、質的にだいぶん下回ります。
 伊万里という焼き物は、広い分野から見て、家庭で使う食器に始まって、鑑賞する皿に至るまで、美術的にも、また世界的にも有名な物となりました。
Vol.2   初期伊万里について
 初期伊万里とは、その名前の通り伊万里焼の最初の焼き物であり、現在有田で焼かれている物とは、趣が全然違います。その品物のほとんどが染付であり、極稀に、一部、鉄砂などを使っている珍品もあります。
 技術的に言えば、初期の作品だけに、素焼きの技術はなく、生がけになっています。その為に品物を焼く時点で貫入が入ったり,途中で割れてしまう事がよくあったようです。もちろん、無傷の物もありますが、最近は特に少なくなりました。
 寸法は、小皿、中皿類が多く、大皿(尺〜尺五)の品物の割合は中皿に比べて、特に少ないです。
 そして、傷の方も無傷と言うのは、大皿に限って言えば、まず無いと考えて頂いて結構です。 
 品物の特徴は、高台が小さく(直径の1/3位)、そして、生がけなので、品物の何処かに必ず手跡が付いています。
 生地は、割合分厚い生地です。
 伊万里焼の初期の作品と言う事で、昔から評価は高く、日本の鑑賞陶器としては、随一でしょう。また、いずれ初期の品物も、ホームページで紹介したいと思います。
 次は”藍九谷について”です。

Vol.3  藍九谷(前期伊万里)について

 まず初めに、藍九谷と聞いたら、九谷焼かな?と思う人が多いかもしれません。しかし、実際は、伊万里で作られた物です。
 ただ、図柄・作風が古九谷の雰囲気に似ている為に、数十年前に藍九谷という名がついたようです。(古九谷伊万里説というものもありますが、それは、研究している方々にお任せしておくとして)
現在は、藍九谷と言う言葉も通用しますが、誤解のないように前期伊万里という呼び方もあります。
 時代で言えば、初期伊万里の後で、初期の品物より完成度が高いと言えます。
 その中でも、前期と後期があり、高台の直径は、初期の物より大きくなります。前期のものは初期と同じく生掛けであり、後期になると素焼きをした薄手の生地になります。
 藍九谷の皿をいくつか出しましたので、参考に見てください。
 Vol.2の時に取り上げた初期伊万里が手に入りましたので興味のある方はご覧下さい。 
次回は”藍柿について”です。
Vol.4   藍柿(盛期伊万里)について
  藍柿とは、時代的に言うと、元禄を中心にして作られた染付けの最上手の器です。
中には、色絵・染錦もありますが、染付のものに限って使われる名称です。中には、染付でできたものに後で色をつけたものもあります。
 先回、先々回と、初期伊万里、前期伊万里について話しましたが、その次に古い順にあたります。
 本来、品物を作る技術というのは、後年になるほど良くなると思いがちですが、伊万里の歴史においては、最高技術をもって作られたものは、この元禄期を中心にできた染付けの器です。
 生地にしても、白い最高の土が使われています。よって、染付の色合も最高のものが出来るわけです。
 日本で初めて磁器が焼かれてわずか100年の少々の間に、ここまでのものができたとは、驚くべきことです。実際に品物を見ますと、今作られたかのような美しさと、図柄のセンスの良さがあります。
 初期伊万里と比べて、美術的価値が認められたのは遅いですが、ここ10年間で、美術的価値がぐんと上がりました。
 次回は”元禄古伊万里について”です。
Vol.5    元禄古伊万里について
 元禄古伊万里とは、名の通り、元禄時代を中心に作られた伊万里を指します。
 この連載を読まれている方の中には、先回の話の中で藍柿も元禄と書いていた?と思う人がいるかもしれません。実は、同じ時代に柿右ェ門手と伊万里手があるのです。
 先回、柿右ェ門手については、染付に限定しましたが、もちろん色絵柿右ェ門や染錦もあるのです。同じく、古伊万里にも、染付・色絵・染錦手とあるのです。
 染付・染錦の品物はどちらかと言うと外国向けに作られた大きい品物が多く、柿右ェ門手と比べると、生地がねずみ色がかった感じがします。
 色絵の場合は、特に上手がある、俗に言う”献上伊万里”があります。
 食器の細かい物も有りますが、型物といわれる、鉢類がその代表的なものです。型物は色々な本にも紹介されていますが、めったにお目にかかれないものです。
 染付・染錦手は、時々手に入るので、手に入ればHPにも載せたいと思っています。
  
次回は”享保以降、文化年間の伊万里について”です。
Vol.6

   享保以降〜文政年間までの伊万里について

 今までの伊万里については、年代をある程度、細かく分けましたが、今回はある程度広い時代区域になります。なぜかと言いますと、この間は、技術的にも平行で、上手・下手はもちろんありますが、品物の持つ特性がよく似ているからです。
 江戸のこの時代でも、伊万里は相当はやったらしく、大量生産になってきます。そして、伊万里では、生産が間に合わずに、それそれの地方で伊万里焼きに似せた国焼ができてくるのです。が、それは、もう少し後年になってからです。
  品物に関しては、今までの説明とは違い、現在でも食器として使えるような感じになってきます。柿右衛門手や元禄の古伊万里などは、値段的なこととか枚数があまり出て来ないことから、だいたい鑑賞用になっているのが現実です。しかし、宝歴を中心とした文化年間までの品物は、細かい品物(7寸皿・小皿・ナマス皿・猪口など)は、箱入り20枚とか、まだ手に入る事もありますので、5客セットという形で、食器的な売り方ができるわけです。
 今回、この時代の品物を幾つか紹介しますので、また見てください。
 次回は、”天保時代を中心とした江戸後期の伊万里”です。

Vol.7

天保時代を中心とした江戸後期の伊万里について

 今回は天保時代を中心とした江戸後期の伊万里についてです。
 まず、文政年間以後天保あたりを境として、こまかい食器(七寸皿・ナマス皿・小皿など)は、今までと違い品物が品質的には落ちてきます。
 この頃に、瀬戸焼を中心とする地方釜がたくさんできてくるわけです。
 図柄はしゃれた物もたくさん有りますが、裏の唐草の描き方などはそれ以前と比べると、だいぶん雑になってきます。
 しかし、天保時代にはそれまでにない名品があります。尺五寸以上の大皿に、たくさん有ります。
代表的な物は、日本地図皿(世界地図も有ります)、東海道五十三次の皿、鶴丸の大皿などです。
 他にも、この時代には他の時代に無い、たくさんの図変わりの皿が存在します。
 コレクターの方なら、一度は手にいれたいものだと思います。
 地図皿は下に参考のため画像を入れてみました。CliCKすると拡大画像を見ることができます。
 次回は”明治〜現在の伊万里について”です。

Vol.8

幕末〜明治〜現代の伊万里について

 天保以後幕末にかけて、染付も錦手も手(レベル)が落ちてくるのが、目立ちます。
 その中でも、上手(じょうて)と言うものもあるのですが、私自身は、幕末の伊万里はあまり好きではありません。
 明治にはいると、外国文化の影響があってか、作風ががらりと変わります。
 染付のやきものは、俗に言う、”べろあい”になって下手(げて)なものになります。
 中には文明開化の図で、特別高いものもあります。これは特殊な物です。全体から見るとほんの一部です。全体的に作風の中心は派手な錦手になります。白い部分がほとんど無いくらいに書き詰めた上手の錦の大皿や食器がたくさんあります。
 戦後に、これらのやきものはそうとうアメリカの方に売られています。が、明治後期から昭和の初めにかけて、上手のものは次第に少なくなってきます。
 現在は、大部分が手書きではなく、プリントになっていて、電気焼きの物が増えていると思います。(現代の柿右ェ門や今右ェ門などの窯は除く)
 百貨店などで売られている現代の焼き物の場合は、そこそこの値段が付いていますが、現在、古美術的な価値はゼロと言って良いと思います。
 ひとまず、伊万里の変遷は以上で終わりです。

Vol.9    
大聖寺伊万里について 

 大聖寺伊万里とは、主に江戸後期から昭和の初めにかけて焼かれた物で、加賀の大聖寺で焼かれたもののことです。
 ですから、九谷焼の方面で作られたものなのです。当時、その大聖寺で上手の古伊万里を写して作られました。
 主に、錦手のものが、多いですが、まれに染付もあります。
 時代は若いですが、古伊万里の上手を写しているので、良くできた良品が多いです。
 古伊万里の錦手の焼き物が欲しいけど、値段が高くて、という方には、この大聖寺伊万里をお勧めします。古伊万里写しとはいえ、上手のものなので使うにはもってこいだと思います。

Vol.10    
伊万里と大聖寺伊万里の見分け方について

 基本的に、大聖寺伊万里は古伊万里(この場合元禄を中心にした物です)の上手錦手を写した物が多く、幕末〜明治にかけてのものが、特に良いものができています。
 伊万里と大聖寺伊万里の見分け方と言っても、第一、時代が違いますので、染付や色の染料が質的に異なり、少々目の利く人であれば、一目見て分かります。
 伊万里と比べると、生地が柔らかく、伊万里と比べてアマ手の商品も多くあります。
 一番異なる点は、高台の土見せの部分が伊万里が丸く切ってあるのに対し、大聖寺伊万里は斜めに切っています。
前にも書きましたが、錦手古伊万里が欲しいのに高くて手が届かないとお思いの方は、この大聖寺伊万里をお薦めいたします。
 飾っても綺麗ですし、使うにも、見映えが良く、使い易い値段で手に入るので、宜しいかと思います。 

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