2000.6.14

「クラヴィスなんかキライだ!」

ジュリアスは顔を真っ赤にして目の前にいる緑の守護聖に言った。

「おい、おい…どうしてだ?」

金の髪に金の瞳をした青年は、微笑みながら聞き返した。

「だって……
 この私が遊びに誘ってやっても、 いつもいやいや付き合っているって感じだもの。
 それに、チェスに誘っても、乗馬に誘っても、フェンシングの時だって、
 いつもあの水晶球を持って来るんだ。
 そして、私が触ろうとすると、すごい顔で怒るんだ。」


一気にまくし立ててのどが渇いたのか、
目の前に置いてあった少し冷めたホットミルクを飲み干した。

「ハハハ…そうだったな。
 しかしな、ジュリアス、遊びに誘ってやっている… なんていう言い方は気に入らんな。」


 ここは緑の守護聖カティスの私邸である。
適度な緑があり、落ち着いた雰囲気は、カティス自身の人柄がしのばれるような部屋である。
このところ、ジュリアスはこの居心地のいい部屋に入り浸っていた。


 聖地の時間で、約1年前、ジュリアスは光の守護聖として招かれてきたのだ。
5才…少年と呼ぶのにも幼すぎる年である。
大人ばかりの中で、精一杯頑張っている姿は微笑ましいものがあった。

 このジュリアスが、父のように慕った守護聖が、前闇の守護聖であった。
その彼も3ヶ月ほど前に聖地を去ってしまったのだ。
そして新しい闇の守護聖として着任したのが、先ほど話題になっていたクラヴィスだった。
どの様な人物が闇の守護聖として着任したとしても、ジュリアスが気に入るはずもない。
…というのが他の守護聖たちも同一の見解だった。

 クラヴィスは、ジュリアスと同い年の6才。
聖地にもまだ馴染めず、望郷の念も捨てきれずにいる、寡黙な少年であった。
唯一、故郷から携えて来た、母からの贈り物だという水晶球を肌身はなさず持ち歩いていた。
だが、芯は1本筋の通った頑固な一面を持っているのではないかと、カティスは推測していた。


「…で、ジュリアス、お前はクラヴィスにどうしてもらいたいんだ?
 クラヴィスがお前に何かしたのか?」

カティスは、面白そうにジュリアスの反応を愉しみながら尋ねた。

「……クラヴィスは何もしないんだ。
 私が言う事にただ従っているだけ…私のことが嫌いなのだろうか…」


ジュリアスは、うつむいたまま少し拗ねたように言った。
少し照れたような顔が可愛いとカティスは思った。

「何もしない、か… お前にクラヴィスの気持ちを考えろというのも酷なことだな。」

カティスは、手に持ったワイングラスを光にかざしながら、

「1つ、話をしてやろう…
 クラヴィスの水晶球は、クラヴィスの母親代わりなんだ。
 聖地に召される時、クラヴィスの母が自分の水晶球を持たせてくれたそうだ。
 …あの水晶球を覗き込むと母の姿が映るそうだ…」


「クラヴィスの母上が…?」

ハッとしたような顔でジュリアスは聞き返した。

「羨ましいかい?」

カティスは面白そうに問いかけた。

「羨ましくなんかない。私は光の守護聖だもの!
 母上だなんて、そんな乳臭い事なんか言っていられないんだ!」


「ハハハ…そうだったな。
 これは失礼したな。 ジュリアスは、立派な光の守護聖なんだからな。」


カティスが目を細めて笑いながら応えた。

「御馳走さまでした、カティス。私はそろそろ失礼します。」

ジュリアスは少し気に食わなかった様子で、席を立ってそのまま出て行ってしまった。

「同い年か…難しいものだな。 だが、あの二人にとって面白い展開になりそうだな。」

ジュリアスが去ったドアを見つめながら、カティスはひとり呟いた。



カティスの私邸を退出したジュリアスはひとり、独り言を言いながら、あてもなく歩いていた。

「母上がどうだって言うんだ…」

ふと気付くとそかは森の湖だった。
木々の隙間を縫うようにその閑静な空間を進んで行くと、1つの大きな木の根元に、
クラヴィスが座っているのを目にした。

「何を…!?」

ジュリアスは声をかけるのを躊躇って、
少し離れたところからクラヴィスの様子をうかがうことにした。

「あっ水晶球…」

クラヴィスは食い入るように水晶球を覗き込んでいるところだった。
何を見ているのか、気になったジュリアスはそっとクラヴィスの方歩いて行く。
あと少しで水晶球の中が見えそうなところまで近寄った時、パキンと小枝を踏んでしまった。

(しまった!!)

「…!?」

驚いて振り返るクラヴィス、ジュリアスは慌てて、

「こんなところで何をしているんだ?クラヴィス」

そう問いかけるのが精一杯だった。

「母様を…母様を見ていたんだ…」

クラヴィスは少し、はにかむように俯いて応えた。
いつもの事ながら、言葉少ない彼の対応に、ジュリアスは苛立ちを感じていた。

「母上が…君の母上がこの水晶球に映るのか?」

やはりあの話は本当だったんだ…
思わず、ジュリアスは水晶球を覗き込んだ。

「ふーん、この人が君の母上なのか?」

そこには彼と同じ黒髪の、どこか儚げな美しい女性が映っていた。
その優しそうな面差しを、幸せそうに見つめているクラヴィスが、急に妬ましく感じた。

「ふん、いつまでも母上のことばかり懐かしがっていたって、
 立派な守護聖にはなれないぞ。」


ジュリアスにそう言われて、クラヴィスは寂しそうに目を伏せた。

「…そうだね。じゃぁ、僕は執務室に戻るよ。」

クラヴィスは立ちあがり、水晶球を携えて去っていった。
ジュリアスは、その後姿を見送りながら、なにか歯がゆい思いだけが残ったような気がした。
いつもそうだった…それは二人の力が"光"と"闇"であるように、
相容れないものの象徴のように思われた。
しかし、幼いジュリアスには、光りがあればこその闇、闇があればこその光である事は
まだ理解できなかった。

ひとり取り残されたジュリアスは、知らずと母の事を考えていた。

「母上…」

ジュリアスは物心がついた頃から次期光の守護聖として、様々なことを学ばされた。
母に甘えたくても、

「お前は守護聖様になるのだから…」

と、言ってたしなめられた。
美しい母上、優しい母上…
しかし、母の瞳は我が子を愛しむというより、
次期守護聖に敬意を払うという色合いの方が濃かったように思われた。
元々大貴族の家柄、愛情より血筋や名誉の方を尊ぶきらいがあったことは否めない。

母上… 母上…

6才の少年にとって、まだ母の暖かい手は必要だった。
ジュリアスは涙を流していた。彼自身も気付かぬうちに…。
森の湖を吹き抜ける風が、その幼い魂を抱きしめるようにして、
彼の傍らを通りすぎていった。


「今日のクラヴィスは…何か思いつめているようだったな。」

定例会議の後、カティスは言った。

「………」

「何か思い当たることでもあるのかい?」

金色の穏やかな瞳でジュリアスを覗き込むように問うた。
心配そうに覗き込むカティスの視線が、いまのジュリアスには痛かった。

「なにも知りません!」

ジュリアスは、素直になりきれない自分に腹を立てながら、走り去って行った。




 カティスを振りきるように自室に戻ったジュリアスは、執務机の引出しを開けた。
そこには…
ジュリアスは少し戸惑いながら、黒いビロードの布に包まれた水晶球を取り出した。

「ふぅ……」

大切なものを扱うようにそっと取り出した水晶球は、
窓から差し込む光を受けて、きらりと瞬いた。

「クラヴィスは…」

ジュリアスは言葉を飲み込んでしまった。
 この水晶球は3日前、クラヴィスの執務室に赴いた時、持ってきた物であった。
その日、地の守護聖から頼まれ事で、クラヴィスを訪ねたのだが、
ノックをしても返事がなかった。
ドアをそっと開けてみると、誰もいなかった。
後から出直そうとドアを閉めようとした時、執務机の上で、何かがキラリと光った。
その後の事は、正直なところ、ジュリアス自身覚えていなかった。
しかし、ここにある水晶球がすべてを物語っていた。

「どうすれば…」

この水晶球を持っていても、ジュリアスには使いこなせなかった。
水晶球に何が見たいのかさえ解らなかった。
いや、解っていたが、それを認めるのも、そして見る事すらも怖かったのだ。

「クラヴィスは、私がこれを持っていることを知っているのだろうか?」

知っているようにも思えるし、知らないようにも思える。
そんなクラヴィスの対応に、ジュリアス自信、困惑していた。
そして、ジュリアスは、何と言って返せばいいのか、彼には言葉が思いつかなかった。
 その時、ノックの音が響いた。…実際は遠慮がちな小さな音だった。

「ジュリアス…、ちょっといいかい?」

訪問者は、クラヴィスだった…

「ちょっと待って!

慌てて水晶球を引き出しに戻そうとした拍子に、
ジュリアスの手からこぼれるように水晶球は転げ落ちた。
それと同時にドアが開いた。

「クックラヴィス!! 待てっと言ったのに!!」

もう遅かった。転げ落ちた水晶球はゆっくりとクラヴィスの足元に転がっていた。

「クラヴィス、これには……」

何を言い訳しようとしているんだ、と思いながらジュリアスは言葉を捜していた。
でも、言葉が見つかるわけもない…

「これは…」

はっと気付いたようにクラヴィスは水晶球を拾い上げた。
そして、来客用の長椅子の方に向かって、ジュリアスに言った。

「座ってもいい?」

「うん…」

ジュリアスはうなずく事しか出来なかった。
どうしよう…クラヴィスに知れてしまった…!!という後悔でいっぱいになったジュリアスは、
震えながら、ただクラヴィスを見つめることしか出来なかった。

「ジュリアスもここに来て…」

クラヴィスは隣に座るように誘った。
フラフラと、雲の上を歩くような心地でジュリアスはクラヴィスの言葉に従がった。
いつも控えめで、感情を出す事も少ないクラヴィスが、はっきりとした意志を持ち、
凛とした態度でジュリアスの瞳を見据えながら、水晶球を差し出した。

「覗いてみて…」

そこには…
ジュリアスの家族がいた…父と母と…そして、ジュリアスの知らない子供達が…。

「聖地に召されるっていう事は、すべてを捨てて来る事なんだね…」

水晶球を見つめながらクラヴィスは呟いた。

「僕はここに来るまでは、ただ母様とお別れすることだけが悲しかったんだ…」

伏目がちにクラヴィスは、誰に言うともなく言葉を紡いだ。

「僕は、ここ何日か、水晶球を見るのが怖かった。
 だから、この水晶球がなくなって、ちょっとだけホッとしていたんだ。」


小さく微かな、ため息を一つ落とした。

「それはね、僕のいた世界が、僕がいなくなっても何事もなかったように時が過ぎていく…
 それを認めるのが怖かったんだ…」


フッと顔をあげて、窓の方を見上げたクラヴィスの瞳がキラリと光ったような気がした。
涙…?そう思ったジュリアスも、自分の頬に伝うものの存在に気付いた。

「これはジュリアスの母様なのかい?綺麗な方だね…」

クラヴィスは歌うように微笑みながら言った。

「そうだ…でも、なんだか…」

そう…お年を召された、ジュリアスはそう言いたかった。

「この子は君の弟なんだね」

「そう、私は知らなかったけれど…な」

ジュリアスは、自分の座るべき位置に知らない子供が座っているという事実を、
認めようと懸命に努力していた。
クラヴィスを見上げたその顔は涙で濡れていた。
そして、その事を隠すことも忘れて、再び水晶球を見つめた。

「事実とは…」

「事実とは、時々、ざんこく…そう残酷なことをなことをするんだ…
 いつか…聖地での務めが終わった時、僕たちは何処に帰るんだろう…
 そんな事を考えると、とても辛い…」


クラヴィスも水晶球を見つめながらそう言った。

「うん…」

ジュリアスは、クラヴィスの言葉を素直に受けとめている自分が不思議だった。
しかし、その言葉、ひとつひとつが、いまの彼には心地よいものである事も事実だった。
 二人は暫らく黙ったままで水晶球を見つめていた。



気が付けば、夕闇が迫っていた。
隣にいたはずのクラヴィスは、何時の間にかいなくなっていた。
そして、水晶球も一緒に…

「フッ…クラヴィスになんだか大きな借りが出来てしまったな」

そう、クラヴィスは一言もジュリアスを責めなかった。
ただ、何となく、それがクラヴィスの優しさなのかもしれないと、ジュリアスは思った。
まるでこの夕闇が、彼の頬の乾いた涙の痕を、隠してくれているように…。

「私は謝ることすら出来なかったんだな…クラヴィス…」

ジュリアスの心の中にある、今までと違うクラヴィスの存在を抱きしめながら、
そっと独り言を言った。


                                  〜END〜


6才の子供が、ここまで喋るのか…??我子を見ていてふとそう思ってしまいました。
そこは、それ、何を置いても守護聖様なのですから、ボキャブラリーは豊富だったという事で許してもらいましょう…

BACK