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中央テレビ編集 


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自治随想
人口減少、少子高齢化時代の地方創生
~その2、フルセット行政と財政危機~
中央集権体制の問題点
 第1にフルセット型行政が挙げられる。あたかも各都道府県、市町村が一つの国であるかのように、公共施設や道路を整備するフルセット行政の弊害が考えられる。「あれも、これもやる」式の右肩上がり時代の政治・行政が依然として続き、地方再生の名のもと公共事業を競い合う傾向が目立つ。一方で、日本の公共事業には地域振興、雇用の手段として地元には期待され、これに省庁の縦割り行政、補助金行政、自治体の横並び意識が加わってよく似た類似の公共施設が林立し、道路・橋などの建設を進める。各自治体はその規模に関わりなく横並び意識からすべて同じものをそろえよう と競う。そのために政治力を結集して地元への利益誘導(各省からの承認・補助金確保)に奔走する。そうした結果、「フルセット行政」につながり、こうした競演が国の財政、自治体の財政を悪化させている。「背に腹代えられない」という解釈もあるが、ムダな社会質本整備と言われない「選択と集中」が肝要だ。  
 関連して借金依存と財政破綻が生じる。公共事業による社会資本整備にはカネが必要だ。その多くは建設公債(借金)が使われ、国・自治体は公債を発行して資金を調達する。建設する道路・橋は次世代も使うから負担するのは当然(世代間の負担の公平)とされるが、負担を強いられる次世代の子どもたちに何の了解も得ないまま借金が何百兆円と膨らめば問題だ。更に建設公債に止まらず、経常経費の赤字を埋める赤字公債にまで手を出し(赤字公債は財政法上発行禁止)、これが常態化しつつあり、サラ金生活に譬える声もある。2014年時点での政府財政統計によれば、国債や借入金・政府短期証券を合わせた国の借金の累積額は国で1030兆円、地方まで合わせると1200兆円、間もなく、国民の貯蓄額1400兆円を超え、その先の担保をどうするのか、無担保融資を含めて見通しが心配されるという。 こうした日本の財政状況を外国はどう見ているのか。EU加盟条件を定めたマーストリヒト条約は健全な財政の国基準として、債務残高がGDPの60%以下であることを定めている。日本はすでに240%、「あの国は国家破たんの道を歩んでいる」と見られている気がする。  
 第2の問題点は、規制・保護行政の弊害だ。もとより民間活動が望ましい方向に行くように規制を設け、自立できるよう一定期間保護ないし助成を行うのは行政の大事な役割だが、必要以上の規制や保護は大きな弊害を生む場合が多い。いったん始めた保護や助成は既得権化しやすく、それを外す際の政治的抵抗は大きいし、選挙では現状維持が有利となり結果的に、行政は膨張の一途をたどる。つまり国民のコントロールが効かない遠い政府となりかねず、これこそが中央集権体制のもたらす弊害となる。 わが国も発展途上の頃には、国内企業の国際競争力を高め一定の品質やサービスを保つために、特定の産業や事業に対して規則や補助金を出し政府の行政指導も必要であった。しかし、現在のように成熟した経済社会では そうした規制や保護はむしろ企業の独創性を阻害し市楊の自由な競争、発展を阻害する。保護され自由競争にさらされない結果、日本企業の競争力は弱り、消費者も競争によって享受できるであろう優れた商品や安い商品、サービスを得られなくなるであろう。  
 第3は、規制・保護行政が地方自立の障壁になりかねないことだ。確かに1940年前後の頃は、自治体の底上げを図り高度成長を支える上で規制行政は一定の効果があったが、先進国化し地域ごとに知恵を出し、特色ある地域づくりに取り組むべき地方創生の時代では、こうした縛り(規制)こそが暮らしの向上、特色ある地方づくりを阻害するのでないか。更に、国の各省庁が出す事業別の補助金(ヒモつき補助金)を細かに規制し、地域の知恵で考えたことが反映されず、杓子定規に法規を振り回す。常識的に考えて一定時期を過ぎれば、その処分、使用方法などは地域住民に委ねてはどうか、現場の具体的対応で悩んだことを思い出す。国民の目の届かない規制行政・網の目のようにめぐらされた中央集権体制下の規制が続く限り、地元がいかに改革しようとしてもこの効果は限られてくる。この弊害を除くためには対処療法ではなく、地域に判断を委ねる地域主権の確立に繋がっていくのではないか。  よく考えて見ると、中央集権体制の価値である統一性、公平性を担保する理由から、これまで国の各省が1つの物差しで大量生産大量消費型の公共サービスをつくってきた。だが、現在のように多様化した社会が出現すると上手く機能しなくなり、多様なサービス、多品種少量生産型の供給体制に変えないと顧客(住民)に受け入れられず、民間サービスも公共サービスも同じなのである。そこでかなり早くから民間企業では、全社的にやる大まかな戦略は本社で決め、個別具体的な事業は地域の店舗などに任せることで成功している。中央集権型会社経営の失敗から学んだ成果もある。ここで思い出すのは訪問した先進諸国での企業経営は、「成長戦略は国家レベルより、都市レベル・地域単位でつくられている」、換言すると、中央から命令を下すのではなく、相互が水平的な関係で競争する。中央は大きな方針のみを定め、あとは都市・地域自らの考えで成長戦略を構想する。だから地方は知識、知恵をフル稼働させ、その国の都市間が成長戦略を競うことで全体がレベルアップしていく。まさに今様にいう地域主権の国のイメージであろう。

◆47都道府県制度の問題
 明治23年47都道府県体制ができて以降、国と市町村の中間に位置する都道府県はその性格こそ変わったが、区割りは変わっていない。基礎的自治体の市町村は明治・昭和・平成と3度の合併、再編を繰り返し拡がってきた。平成の大合併で市町村は半減し、府県の役割を併せ持つ政令市など都市制度適用の自治体が増え、政令市・中核市などの都市自治体区域に住む国民は半数に及び、府県の役割は次第に空洞化している。にも拘わらず47都道府県体制はそのまま、その結果、国・その出先機関・府県・その出先機関、そして市町村・その出張所と5∼6層にも統治機構が重なり、2∼4重行政が現出する。そこで2000年に地方分権一括法が施行され、その第1期分権改革では国と地方の上下主従関係を形づくってきた機関委任事務制度を全廃し、対等協力関係に置き換えようとする。ところが肝心の集権構造である税財源の分権化は行われず、更に国の出先機関統廃合・法規制の大幅緩和・権限移譲などの第2期分権改革は進まず、加えて官僚の抵抗・省庁に絡む族議員の抵抗なども大きい。 全国市長会役員として私は、「地方にできることは地方に、民にできることは民に任せる」とした小泉首相の聖域なき改革に期待を込めながらその対応に務めた。評価に値する小泉改革ももちろんあるが、そのための統治機構改革と役割分担の見直しの視点が十分でなかったのではないか。私たち地方現場からの率直な意見である。同志である穂坂邦夫元志木市長は徳島文理大での講演において、各レベルの政府の役割を整理し道州制へ移行(統治機構改革)すれば、国・地方合わせて20兆円近い歳出削減になる試算を述べられた(地方自治自立へのシナリオ)。統治機構改革によって中央集権体制を見直し、膨張する政府をスリム化し無駄を省く、景気対策や社会保障費が増えるから増税をし借金を増やして分配政治を繰り返す。こうした悪循環の政治から決別すべく抜本的な統治機構改革に取り組み、様々なしがらみを断って小さな賢い政府をつくり、自治現場では個性・多様化に対応できる地方政府の下で賢い選択と競争が可能な地域社会を目指すべきだとするのである。

◆日本型州制度移行の狙い
  地方の視点から現在の府県単位の経済規模を単に合計して見れば、東北6県を1つの州にすればスウェーデンに匹敵し、九州7県を1つにするとオランダ並み、一番小さな経済圏の四国4県を1つにすればアルゼンチン・マレーシア規模となる。もちろん広域の州として自立性を高め、相互が競い、海外との交易が活発化することが必要だが、試算としてそれぞれ2割近くGDPがアップすることになる。何故なら、もとの各県の強みを生かす州政府の広域政策によって、多様性が合成され、新たな活力となり、強みが生まれてくるからだ。 これまで全国均質、均一化した国主導の経済再生に比較して、10年後には日本の総生産(GDP)1.5%増やせる試算(大都市制度構想研究会2009)も公表された。こうした試算からも州制度への移行は行財政の簡素化・効率化のみならず、経済カアップにつながり、これこそが地方創生、日本再生の切り札になるのではないかと佐々木中央大教授は力説され、これまでの道州制論から日本全体を10の州と東京・大阪の2つの都市州を加えた12州制度を訴える。

◆第28次地方制度調査会答申  
 私の市長勇退1年後2006年2月の地制調最終答申を受けて第1次安倍内閣は、道州制担当大臣を置き道州制ビジョン懇談会(江口克彦座長)で3年以内に道州制ビジョン公表を目指したが、福田・麻生内閣を経て08年3月に「2018年に都道府県を廃止し地域主権型道州制へ完全移行すべきである」との中間報告に止まる。その後、09年8月衆議院総選挙で民主党に政権が移り、地制調の最終答申に至らなかった。江口座長は自ら「地域主権型道州制 ― 国民への報告書」を監修し、「地域主権型道州制は各道州に密着し、各道州が主体となってそれぞれの地域住民が納得し満足する、効率的で無駄のない行政が行われる国のかたちと定義し、広域圏の州に立法、行政の広範な統治権を国から移管することで、内政の拠点となる地域主権型の国をつくるべきだ」とされた。即ち、地域主権型道州制は官僚主義を廃止し、地域の自主自立を徹底した道州間の水平的競争関係をもたらす新たな道州制であり、日本全体が中央政府に一本で結ばれ国全体を一色に塗る中央集権型の統治機構を根本から改め、ピラミッド型から10程度の州政府が内政の拠点となる地方分権型を意図している。

(徳島文理大学総合政策学研究科教授 西川 政善)