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中央テレビ編集 


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自治随想
中央・地方政府間関係論
~その4.東京五輪聖火がつなぐ課題と自治意識~

昔と今をつなぐ無観客の演出
 1964年(昭和39)10月10日五輪聖火を神宮の森国立競技場点火台に坂井義則(広島原爆投下の昭和20年8月6日出生)最終走者が点火、そして57年後の2021年(令和3)7月23日全国47都道府県産材仕様の新競技場点火台(太陽・富士山モチーフ)に大坂なおみさんが点火、この間、実に57年の歳月が流れ、人々の日常は大きく様変わりする。その時22歳の貧乏大学生だった私は、今や79歳の後期高齢者、縁あって国際競技場での雑用係何でも屋アルバイト、いろんな作業をしながら開閉会式・迫力と感動溢れる各競技や7万人を超える大観衆との共有空間での様々な人間模様を垣間見、忘れられない青春の記憶を刻んだ。
 そんな私の記憶が、新型コロナウイルス感染防止の緊急事態宣言下であらゆる拡大防止策を講じ、無観客の競技会場の模様をテレビに被りつき昼夜を問わず視聴、その来し方がまるで今の出来事のようにカラーで蘇り、映像に出ない細やかな皮膚感覚・心琴にまで届いてくる。
 100、200、400、800、110ハードル、長距離走など美しいフォームと凄い迫力等々が目の前、手の届きそうな至近距離で見える、激しい息遣い・心臓の鼓動まで聞こえてきそう、そんな記憶が蘇る、感動のあまり胸が詰まり涙を流してしまったのは、マラソンのゴールシーンだ。競技場に一番に入ってきたアベベは端正なフォームでテープを切り表情ひとつ変えずに屈伸運動をする、2番で入場した円谷幸吉選手は小さく目を開け頭は少し傾け苦しそう、すぐ後ろ10数メートルに英国のヒートリー選手の姿、ややあってヒートリーはここぞとばかりに加速、スーッと円谷を抜き去る、抜かれた円谷選手も全てを出し切って後は乾燥を目指す気迫が漲り、ゴールイン、フラッ、フラーと体を斜めに傾けて歩きスタッフに支えられた。表彰式で唯一国立競技場に上がった日の丸と金・銀・銅メダリストへの称賛の声は止まるところを知らなかった。感動の極限、共有空間での劇的瞬間となる。 「人間は忘れる動物」とか「悲しいこと、嫌なこと忘れるからこそ、生きていける」などと言われるが、その一方、何かのキッカケで「人間の頭の中の構造はどうなっているのか?」と不思議に思うほど鮮明に記憶が戻ることがある。私は今、そんな「持薬」の只中、時空を超えた感動のるつぼのど真ん中に心身を浸しているのだ。それも何と、ステイホームで!

東京ベイエリアの景観
 五輪メインスタジアムから選手村、各競技会場のある東京湾水際エリアに目を転じてみる。グーグルマップから世界に誇れる鳥瞰が、皇居・名義神宮・国会議事堂・官庁街等日本の中枢機関・浜離宮などの緑エリアと市街地を区切るように隅田川、その先青い湾内晴海エリアの人工埋立地・工場群・大井埠頭港湾施設とを結ぶレインボーブリッジなどの橋梁・網の目のような鉄道・道路網、それらを取り囲む高層ビル・マンション等々カラフルに広がっている。この景観、世界に誇れる光景だ。  
 その晴海の一角に五輪選手村がある。205ヵ国・地域と難民選手団を合わせて約1万8千人を収容するベイサイド高層マンション群だ。ここから史上最多の33競技、339種目で競う選手たちはコロナ感染拡大防止のために、選手が外部と接触しない「バブル方式」、選手村と国立競技場等無観客の各競技場を往復する社会から隔離された異例の運営で、「多様性と調和」の五輪となる。57年前の東京五輪選手村は、現在の代々木公園(旧米軍居住地域ワシントンハイツ跡地に木造平屋、8千人余の宿泊施設)と、新旧の様変わりを率直に感じる。  
 昭和36年上京の私は、花の都とは程遠い混雑とスモックに覆われた東京生活に吃驚仰天、外出して数10分もしない内に鼻がムズムズ、眼はシバシバ、チーンと鼻をかむと真っ黒な鼻汁と唾、喉も少々痛い、都電(路面電車)に乗り前後左右を見ると数十メートル先がかすんで見えない、光化学スモックの大気汚染が原因だ。下宿先近くの隅田川沿いを歩くとどす黒い水の流れのあちこちからメタンガスがボコボコ湧き出す、上流部の工場排水・一部生活排水が原因とか、それ故江戸名物隅田川花火は7年間中止になった。東京ベイエリアにおける人工島埋め立てで際立ったのは廃棄物最終処理地「夢の島」だ。生ごみ初めあらゆる廃棄物を求める無数の野鳥の鳴き声と騒音が何キロも先からくっきり見聞きできる。東京湾全域がこうした環境上の問題を抱えつつも経済成長を視野に入れて突き進む。  
 東京五輪も目前にこのような事態を改善すべく、時の池田勇人首相、東龍太郎都知事らを先頭に大改造に取組む。公共事業を始めあらゆる分野での積極的な取り組みから東京周辺どこへ行っても工事中、そんな状況下で私ども貧乏学生も重宝がられ道路工事・清掃・河川工事・残土処理等昼夜を問わずアルバイト三昧、お陰で授業料・下宿代他生活費を賄う。今にして思えば、用地買収・権利補償の少ない河川の上下や海岸沿いに一階部分が一般道路、二階部分が高速道路、地下数十メートル前後を掘り込む地下鉄、各種トンネル工事が目立つ街づくりが出現する。何とお江戸日本橋の上に高速道路が開通し、国民は唖然とし、世界は不思議な光景を見て驚く。  
 こうした観点から見れば、57年後の五輪は東京ベイエリア周辺の活用がその景観と相俟ち、また札幌や近隣府県で実施する競技種目も無観客開催とはいえその意義は理解できる。思うに五輪の選手村はその時代、世界を共に生きる人々の姿を映し出す場所かも知れない。コロナ禍でコミュニケーションが取れない状況下で選手たちは忍耐し、そこから競技にどう向かい何を得、何をしなかったのか、それを見る世界中の人々が何を次に伝えるのか。  
 もうひと時代遡ると、1940年代にも東京五輪が開かれるはずであった。しかし、日中戦争への各国の反発・日本の傀儡国家満州国が参加することへの拒否などで返上、中止となる。この翌年、私の父は新婚間もない母とその胎内5ヶ月の私を残して上海経由、中支(武漢三鎮)へ出征、終戦・捕虜生活の後46年夏帰国、帰郷、私は満4歳で初めて父に抱かれた。  
 三回の東京五輪、一回目は政治・外交・軍事を含めた帝国主義国家の敗北、二回目は日本国憲法下で復興を前面にスポーツの祭典、そして今回はウイルスとの闘いを軸に、多様性と調和の精神を世界にしっかりと発信することになった。  
 これからの時代、大切なもの、それは何よりも1人ひとりの生命、人権であり、それに基づく多様性であり、差別のない世界へのビジョンと調和であるというオリンピアニズムの発信と実践が東京五輪・パラリンピック最大の命題であろう。同調圧力の中、コロナ感染・熱中症アラートを乗り切り、先の「復興・世界はひとつ」同様に「多様性と調和」のレガシーを次世代に引き継ぐ閉会式の締めくくり、次に続くパラリンピックに期待したい。

コロナ下五輪の教訓に学ぶ自治意識
  東京五輪2020閉幕の翌朝、各報道見出しには「強行開催の代償と痛み、完走も世論分断招く」「赤字・パラ観客課題山積」「感染悪化募る焦り」等々、活字が躍る。「近代五輪100年以上の歴史で最も運営が難しかった」「コロナ禍で無観客、感染対策で厳しい行動制限、経済効果や世界に日本文化を発信する機会も少なく、運営の現場や地方自治体サイドから嘆きの声」、そして「この大会で日本社会の膿が出た。日本人が自分たちを見つめ直す切っ掛けになれば、日本で開催した意味があるのではないか」と、「未来への教訓」を示唆する。さらに8月15日終戦記念日翌日の各社報道は「コロナ禍感染拡大のため医療崩壊の危機」との専門家の危惧・自治体現場・医療関係者の不安が紹介される。同時に昨年10~11月時点での全国保険医団体連合会調査で自治体内の全ての医療機関に対して支援策を講じた市町村数が99を数え、コロナ禍で経営に苦しむ中小・小規模企業に対して休業補償を行う自治体が358に達する(全国商工団体連合会調べ)など、国が本来なすべきことを先んじて基礎自治体が行っていることが紹介される。人生の大部分を地方自治一筋に歩んだ私には、今回のコロナ禍は、これまでの地方自治制度改革や三位一体改革、平成の大合併、公共サービスの産業化政策による民間企業への委託事業の拡大、対する現場の自治意識や地方自治政治行政の弱体化といった惨事便乗型政治・行政が生み出した問題を鋭くえぐりだしたと見える。住民の命と健康を守るために独自の施策を講じている市町村が増えていることに注目し、基本政策の根本的転換こそ、今、速やかに展開しなければなるまい。長引くコロナ禍、新種の感染症を危惧する地方自治体の最大の責務は、憲法の理念に立ち当事者・自治意識を高め、主権者の生命・基本的人権・幸福追求権・財産権を守り、住民の福祉の向上を図ることであり、決して採算の合う自治体づくりのみではないことを肝に銘じなければならない。そうした自治体運営が可能となる中央・地方政府間関係を速やかに構築しなければならない。  
 結びに、日本資本主義の父、渋沢栄一氏の「地方は真に国家の元気の根源」即ち「地方・現場に適した振興策を、自治意識を以て講じることが、日本の発展・国際社会への貢献に繋がる」との言辞を噛み締めたい。

                                                     (徳島文理大学総合政策学研究科教授 西川 政善)